第1回 プロで活躍する社会人野球戦士たち(前編)2013年06月26日

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【目次】
[1]社会人野球を盛り上げた東京ガスコンビ
[2]2010年大ブレークの牧田和久
[3]社会人になって変身した十亀剣

社会人になって変身した十亀剣

JR東日本・石川選手

十亀剣(JR東日本時代のピッチング)

 大学時代、高校時代に潜在能力は高い選手と評価されても、技術的な粗さなどで実力を発揮できなかった選手が、環境を変えて社会人でブレークする例がある。まさに変身ともいっていいが、JR東日本の十亀 剣もその一人である。

 愛工大名電時代はエースの斎賀の控えとして甲子園に出場。清峰戦に登板し、サイドから140キロ近い速球を投げ込み、好投を見せていたが、延長13回に勝ち越し点を許し、初戦敗退となった。

 高校卒業後は日本大に進学。十亀の速球は140キロ後半まで速くなったが、安定感が乏しく、なかなか勝てなかったという。その後、JR東日本入り。2010年の東京企業春季大会で、十亀はサイドから投げ込む140キロ台の直球が実に素晴らしく、横に大きく曲がるスライダーのキレも良かった。だが、安定感を欠き、制球が乱れる場面もあった。このピッチングからは、到底、翌年のドラフトで1位指名されるほどの投手に成長するのは予想出来ないが、十亀は翌年の1年間で大きく成長し2年目で大ブレイク。2年目はエースとして都市対抗第一代表の獲得に貢献。

 都市対抗前の8月の日本大学のオープン戦では、十亀を見ようと多くのスカウトがネット裏に集結した。多くのスカウトが集まる前で十亀は期待通り投球を見せる。140キロ後半の速球、スライダー、カーブ、140キロを超えるシュートを投げ分け、無失点に抑える投球を見せた。順調に調整が出来ている十亀に対し、スカウトたちは「あとは都市対抗でしっかりやるだけだな」と満足そうな表情を見せ、グラウンドを後にした。

 エースとして迎えた都市対抗では、富士重工業戦で9回二死まで無失点に抑える快投で勝利投手となったが、次のヤマハ戦では4回途中で降板。そして決勝戦では最速150キロをマークしたが、3回途中で降板し、チームは都市対抗優勝に沸く中で、悔しさを味わった。だが、この2年間で、十亀は投手として大きく成長したことは間違いない。

 迎えた翌2011年ドラフトでは十亀は埼玉西武ライオンズにドラフト1位を受ける。十亀は、1年目はリリーフを中心に41試合に登板し、6勝0敗の好スタート。2年目の今年はローテーション投手として5勝3敗、防御率2.94と昨年以上に活躍を見せている。西武期待の若獅子として今年は二桁勝利を目指していきたい。

最後までプロ入りの夢を諦めなかった川端崇義

 十亀がスカウトに大きく注目を集めるなか、まだプロ入りの夢を諦めていなかったのが川端 崇義だ。川端は東海大相模―国際武道大を経て、JR東日本入り。1年目から、本塁打を連発するなど、走攻守すべてにおいて高い標準に達している選手だった。2008年の第79回都市対抗野球大会では2試合連続本塁打し、Hondaの長野久義と共にドラフト候補として注目された。だが、プロのスカウトからの評価は低く、指名漏れ。5年目を迎え、いつしか彼がドラフト候補として名前が上がることは少なくなっていた。しかし、2011年にオリックス・バファローズから8位指名を受けた。

 通常は、27歳からのプロ入りは大きな賭けでもある。この年齢でプロ入りせず、社会人にとどまる選手のほうが圧倒的に多いのだ。しかも8位と低い順位での指名だ。

 だが、川端はプロ入りの夢は諦めていなかった。迷うことなく入団を決めた川端は、キャンプから精力的にアピールし、開幕一軍入りを果たした。川端は一旦は二軍落ちしたが、再昇格を果たすと、初スタメンで初安打を記録。以降も、安打を積み重ね、125試合に出場し、打率.266を記録。即戦力に相応しい活躍を見せた。

 プロ入り2年目を迎えた川端。2年目は日本ハムからトレードで移籍した糸井嘉男の加入もあり、外野手の競争はより激しくなった。だが、走攻守においてしっかりと仕事ができるオリックスにとっては貴重な人材であることは変わりない。

(文=河嶋 宗一