梶原康司選手(パナソニック)
- 2013.11.09
- 第10回 黒獅子旗への挑戦
- 2013年夏。パナソニック野球部は3年連続48回目となる都市対抗野球大会出場を果たした。準々決勝で新日鐵住金かずさマジックに逆転敗戦を喫し、本年度の黒獅子旗への挑戦は終わりを告げた。
- 2013.10.16
- 第9回 「パナソニックで野球をやることができて、本当によかった」
- 「社会人野球は自分の予想していた以上に面白く熱い世界だった。高校球児が甲子園を目指す熱となんら変わらない・・・」
- 2013.10.02
- 第8回 社会人で気付いた「バッティングの根拠」
- 「いつのまにか、阪神タイガースで過ごした倍以上の年数を社会人の世界で過ごしてるんですね」 気づけばパナソニックの社会人生活も今年で9年目だ。
- 2013.09.07
- 第7回 戦力外通告を受けた日
- プロ二年目の夏、初の一軍昇格の吉報が梶原の下に舞い込んだ。初出場は8月10日の中日戦。7回表に代走で出場し、いきなり初得点を記録。
- 2013.08.24
- 第6回 一軍昇格への壁
- プロ二年目の夏、初の一軍昇格の吉報が梶原の下に舞い込んだ。初出場は8月10日の中日戦。7回表に代走で出場し、いきなり初得点を記録。
- 2013.08.17
- 第5回 阪神タイガースの下積み時代
- プロ一年目の2001年、梶原はファームのレギュラーとして、79試合に出場し、260打数72安打、打率.277、3本塁打、30打点。一軍昇格は一度も果たせなかったが、「ルーキーとしては合格点」だった。
- 2013.08.10
- 第4回 果報は寝て待て
- 2000年(平成12年)11月17日に東京・新高輪プリンスホテルで開催された第36回ドラフト会議。梶原はテレビの置かれていない、大学構内の研究室にこもり、吉報を待っていた。
- 2013.08.03
- 第3回 プロの世界を意識した日
- 今から35年前となる1978年(昭和53年)、梶原康司は宮崎県で生を受けた。小2の時に同級生の友人に誘われ、町内のソフトボールチーム「黒潮スポーツ少年団」に入団。これが野球人生の出発点だった。
- 2013.07.27
- 第2回 涙にくれたシーズン
- 「野球を続けられる環境は社会人の世界ならばある」想像もし得なかった、社会人野球の名門・松下電器(現パナソニック)からのオファー。 現役続行への強い思いとは裏腹に、合同トライアウトの受験に対しては大きな不安要素があった。
- 2013.07.02
- 第1回 ターニングポイント
- 今から12年前となる2001年4月。阪神タイガースの二軍本拠地である鳴尾浜球場にて、常連の男性年配ファンが大声で発した激励の言葉が球場内に響きわたったことをよく覚えている。