連載企画 Human 梶原康司選手(パナソニック)挑戦

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第6回 一軍昇格への壁2013年08月24日

 プロ二年目の夏、初の一軍昇格の吉報が梶原の下に舞い込んだ。
 初出場は8月10日の中日戦。7回表に代走で出場し、いきなり初得点を記録。そのまま守備に就くと、試合終盤に打席が回ってきた。場面は二死満塁。マウンドに立っていたのは、当時のドラゴンズの絶対的セットアッパー、岩瀬仁紀だった。

「相手は一流ピッチャー。初打席でしたし、とにかく変に考えず、来た球を最初から思い切り打とう、どんどんバットを振っていこうと心に決めて、打席に入りました。初球はスライダーを空振り。『よし!』と思って果敢に振りに行ったら、見たこともない軌道で外角に逃げていった。『あれーっ!?』と心の中で叫びながらの空振りでした」

 2球目はストレートだった。無我夢中で振りにいくとバットに当たった。強めのゴロだったが、岩瀬が好捕。プロ一軍初打席はピッチャーゴロに終わった。
 その3日後に行われた札幌ドームでの横浜戦、スターティングメンバーの中に梶原の名があった。6番ファースト。横浜の先発投手は速球派右腕、グスマンだった。

南本(ジェイプロジェクト)

"阪神タイガース時代の梶原選手"

「スタメンを知らされたのは試合当日です。『よっしゃー! やってやるぞ!』と気合入りまくりでしたね」

 しかし、結果は2打席2三振。いずれの打席も150キロ級の真っすぐで追い込まれ、最後は低めに落ちるフォークボールで仕留められた。

「グスマンの球、ものすごく速かったです。真っすぐを振りに行っても、とらえきれずファウルになってしまう。気が付けば追い込まれ、ボールになる変化球を振らされてしまった。結局2打席目を終えたところで、交代させられてしまいました」

 翌日の試合後、二軍降格が決定。一軍で残った成績はわずか4試合、3打席ノーヒット2三振だった。

「凡退内容があまりに悪かったので、二軍行きは仕方ないな、とは思いました。あの150キロ級のキレのある真っすぐをファウルにすることなく、きっちりと打ち返していくことができなければ、一軍では到底通用しない。一軍を経験できたおかげで、自分はまだまだ一軍で成績を残せる選手ではないことを確信できました。しっかり下で頑張って、また一軍に再び呼んでもらえる選手になろうと心に誓いましたね」

 これが最初で最後の一軍生活になるなど、夢にも思わなかった。きっとチャンスはまたもらえる。そんな確信に近い気持ちを抱きつつ、札幌を後にした。
 二軍は広島遠征中だった。梶原は札幌から広島へ空路移動し、空港からタクシーで宿舎に向かった。到着したのは夜。二軍ナインが夕食をとっている最中だった。
 岡田彰布二軍監督は梶原にこんな言葉をかけた。

「おう、ドンマイや、ドンマイや。またチャンスはあるから、明日から頑張れ」

 翌日のファームのゲーム、梶原はホームランを放った。この年、最終的にウェスタンでは前年を大きく上回る10本塁打をマーク。しかし、どれだけファームで結果を残しても、梶原が一軍に呼ばれることはなかった。

(次回に続く)

 (文・服部 健太郎)

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