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第1回 ヒーローは、再び2013年02月21日
二度の全国優勝を経験した。
最初は、高校3年生の春の選抜大会。東海大相模高のエースとして、全試合に登板。優勝を手繰り寄せる好投をみせた。
初戦の今治西戦では、延長10回の末、6対5で勝利。最後までマウンドに立った筑川利希也は、10回裏にセンターオーバーの三塁打を放つ。次打者の打席で、相手投手の初球が暴投となり、その間に三走の筑川はサヨナラのホームを踏んだ。
2回戦の東洋大姫路戦でも、接戦だった。投げ合ったのは現在、日本生命で中継ぎや抑えで活躍をみせるアンダースロー投手・山脇大輔。
試合は投手戦となった。筑川は5者連続三振を奪い、13Kをマーク。一方の山脇は初回の立ち上がりに浴びた2点本塁打を悔んだ。この試合を東海大相模は、3対2でものにし、準々決勝へと駒を進める。
準々決勝は、作新学院との対戦。筑川は3試合連続完投で、9回3失点で好投し、9対3で勝利。続く準決勝の鳥羽戦では、筑川―山本のリレーで被安打4、1失点。11対1と大勝。
それでも、これまでのピッチングは、筑川にとって決して満足がいく内容だったわけではない。
「チームの優勝を目指してきたので、勝てたことは良かったのですが、それまでの試合を振り返っても、投手として考えたら、完封したいな、もっと三振はとりたいなという思いがありました」
それでも、筑川は負けることはなかった。
翌日の決勝戦の相手は、智辯和歌山。当時のクリーンナップには、現在のJX-ENEOSの主軸・池辺啓二、武内晋一(ヤクルト)らがいた。その強打線相手に、筑川は8奪三振。11安打打たれながらも、要所を抑えるピッチングで、4対2でチームの初優勝に貢献。大会後に、筑川はこんな言葉を残している。
「センバツではずっと、自分たちのチームが勝てるというイメージがありました」
その時と、同じ思いを抱いたのは、それから9年後の夏だ。
2009年の都市対抗野球大会。
Hondaに入社して、5年目を迎えていた筑川は、すでに投手陣の中では年長のポジションになっていた。この年の夏、筑川は主戦として登板。また打線には、長野義久(巨人)と、同年に三菱ふそう川崎から移籍した西郷泰之をクリーンナップに置き、Hondaは、悲願の初優勝を果たしたのだ。決勝戦後、大会MVPにあたる橋戸賞を受賞。大学を卒業し、社会人野球に入って、やっと、だ。きっと、あの春のセンバツを観た者からすれば、ずっと、彼のこの輝く瞬間を待っていただろう。
しかし、筑川にとっては、違った。
もう、あの頃とは違う。あれから9年。彼は多くのものを手離してきた。多くのものを諦め、悩み、そして、新たな希望も見つけた。
二度の全国制覇を遂げるまでの狭間にあったものとは?筑川利希也が感じてきた思いとは?
そこには、真のヒーローに育っていく軌跡が、ハッキリと刻まれていた。
(文・安田 未由)
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