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第9回 巡る、熱い思い2013年06月14日
都市対抗で悲願の優勝を果たし、黒獅子賞も手にした筑川利希也。
しかし、筑川は、その翌年には退部を決意していた。
「 『正直、僕にはもう目標はないです』と話しました。入社した時も2年間だけやり切るつもりでしたので。でも、次第に怪我も回復し、投げられるようになって、ここまで続けることが出来ました。
僕に声を掛けてくださった安藤さんが監督になって、優勝を経験して、タイトルも獲れました。プロには行けなかったけど、もうこれで十分だって思えたんです」
目標のない選手が長く残るのは、チームのためにも良くないと感じていた。
しかし、Hondaの真のエースとなった筑川が、ここでグラブを置くには、あまりにも早い決断だった。Hondaのメンバーたちにとっても、それは誰も望んでいない選択だった。
だからこそ、筑川は現役続行の道を選ぶことにしたのだろう。筑川はキッパリと言い切った。
「僕がユニフォームを着て、現役を続けるとしたら、その理由は、1つだけです」
筑川は言葉を続けた。
「僕は、故障を重ねる中で、色んなタイプの投手に変化しながら、ここまでやってきました。もちろん、これから投げ続けていく中で、また変化していくと思うんです。
そうやって、自分自身の変化に対応していったことが、後輩への指導でも、色んなタイプの投手に自分の経験を伝えることが出来るんじゃないかなと思ったんです。
それを人に伝えるためには、自分が体験することが一番ですよね。僕はそれを次の世代に伝えるために、体験したいし、投げ続ける中でその先に、どんな上達のための方程式を見出せるのか、探してみたかった」
そんな方程式を導き出せたなら――
「ものすごいプロ野球選手が誕生するんじゃないかなって」
そう言って筑川は、笑った。
あれから3年。
この期間に、Hondaの投手陣からは2名が、NPB入りを果たした。
「自分はこれまでの選手人生で何に悔いが残っているかといったら、プロに行けなかったことだけです。だから、もし何か迷っている選手がいたら、僕はそれを後押しができる人間になりたい。後輩たちがプロ野球選手になることが、僕の目標でもあるんです」
2013年、春。その思いは、今も変わらない。だが、今年31歳となる筑川の心に一つだけ、変化が生まれているようだ。
今シーズンの始めに、筑川は、こんな話しをしてくれた。
「もしも今、育成でもドラフトで名前が呼ばれたら、喜んで行きますよ。這い上がれるチャンスがあれば、頑張りたいと思える。今が一番、野球少年の気持ちに近いと思うんです。
ひとつずつ年齢を重ねるごとに、一体どこまで行けるんだろうって、挑戦したくなってきたんです」
今、心の底から、野球が楽しい。筑川の言葉の端々から、そんな思いが溢れていた。
高校、大学、社会人の全国の舞台で、すべて頂点を経験してきた筑川利希也。
しかし、華やかな時間ばかりだったわけではない。度重なる故障に苦しみ、将来にも悩んだ。それでも、筑川は、グラブを離さなかった。
ヒーローは再び――
それは、彼が、マウンドに立ち続ける限り、これからも幾度と繰り返される言葉なのかもしれない。
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