連載企画 Human 杉浦正則(日本生命)

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第10回 シドニーオリンピックを最後に現役を引退、コーチを経て監督を4年間務める2014年01月18日

 そんな折に、杉浦にとって貴重な経験となったのが、元阪神でプロ野球のコーチ経験もある山本 和行が臨時コーチとなって指導に来てくれたことだった。
「指導者として、若手に対して伝えようとすることが、なかなか伝わらないで悩んでいたんですが、山本さんに言葉の引き出しを多くして貰いました。これは大きかったです」

 杉浦としては、コーチの役割というのは、通訳でありまた、ビデオカメラであるという考えに至った。
「一人ひとりの好調時のフォームを頭に焼き付けておいて、現場で相手の姿を見て、今はこうなっている、だからこれを修正しなくてはいけないということを伝えてあげればいいということです」

 今の時代は、ビデオなどでチェックをして納得させなくてはいけないという作業も多い。それだけに、余計に伝える役割としてのコーチというのは、大事な存在だということである。
 その後杉浦は、1年間の社業専念期間を経て、日本生命の監督に就任する。杉浦としては38歳の時だった。
「監督業として、どんと座っているというのは、自分には合っていないなと思いました。だから、(選手の現場へ)自分が下りて行かなくてはいけないという気持ちだったんです。だけど、監督というのは人事権を持っていますから、同じではいけないんですね。変わらなくてはいけないんです。自分は変わらないつもりでも、人事権を持っていると相手の対応が変わるんです。そのことをわからなくてはいけなかったと反省しています」

 名門で環境にも恵まれている日本生命としては、都市対抗や日本選手権への出場権を得ることはもちろんのこと、本大会でも当然のごとく結果を求められるのだ。そんな使命を背負っての野球なのである。だから、当然のことながら多大なプレッシャーを受けながらの試合ということになる。
 そんな中で、就任1年目の日本選手権大会では決勝に進出した。決勝では富士重工業に敗退するのだが、その表彰式を待つ間のベンチで、選手たちがうなだれて悔し涙を流しているのを目の当たりにした。
「こんな悔しい思いをさせてはいけないんだということは、つくづく思いました」
 そこから、また試行錯誤が始まり、新たな葛藤も出てきたのである。
「やっぱり、チームというのは生き物なんですね。感情も持っていますから、少し感情が違った方向へ行ってしまうと、同じ戦力であったとしても、悪くなっていってしまいますし、逆にいい方向へ行くこともあります」

 そうした試行錯誤をしながら、4年間の任期を務めていった。
「社会人野球の監督というのは、会社の中の一つのポストとしての経験だと思うんですよ。それは組織作りを学ぶことにもなりますし、個人の成長としても大事な経験を積ませてもらったと思っています」
 現在は、法人向けの営業担当として会社に貢献していくことを最優先としている。
 そうした中でも、2010年からはNHKで春夏の高校野球解説をしており、側面から野球に関われることが、自分としても恵まれている良い環境であると認識している。

 ミスター社会人野球、その野球人生に悔いはない。

(文=手束 仁

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