第5回 【森泉弘さん】 第9回大会(1982年) 都市対抗初の4強入りの勢いのまま、日本選手権初出場!2013年11月02日

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 私の日本選手権の思い出のベストゲーム第5回は森泉弘さんにお話を伺いしました。森泉さんは明大明治高から明治大を経て、明治生命(現・明治安田生命)に入社。1982年に都市対抗初出場ベスト4、日本選手権初出場に貢献。現役引退後、コーチ、監督をつとめ、2009年4月から安田学園の監督に就任。2012年秋に都大会初優勝を果たし、2013年選抜初出場を決めています。森泉さんから当時のお話を伺いました。

1982年10月26日大阪球場
第24回 日本選手権 1回戦 
松下電器  001 001 010 =3
明治生命   000 000 000 =0

森泉 弘氏(元明治生命)のベストゲーム

難波貴司氏(元日本通運)

森泉 弘氏(現・安田学園野球部監督)

 私の思い出のベストゲームは、初戦で敗退してしまった大会ですが、日本選手権に初出場した1982年の松下電器(現・パナソニック)との一戦です、

 その前にこの年を振り返ると、都市対抗も初出場していきなりベスト4まで勝ち進んだ年でした。それまでは、都市対抗も一次予選も勝ち抜けなかったんですが、勝ち進めるようになったのは竹内秀夫さん(慶応大学助監督)と松本吉啓(現・千葉経大附監督)の両投手がいたことが大きかったですね。この柱となった2投手を中心に勝ち上がることができたと思います。

 当時の私は4番ファーストでした。この年、JABA開催の富山大会で優勝しまして、地方大会で優勝を決めたことで、勢いに乗れたかなと思っています。

 都市対抗が終わった後の日本選手権の予選も、都市対抗ベスト4まで勝ち進んだ勢いがあって、日本選手権の予選も順当に勝ち上がっていくんですよね。まずプリンスホテル、続いて本田技研(現・Honda)や、東芝などの強豪を破っていくことができた。日本選手権の初戦の相手は松下電器(現・パナソニック)で、相手投手の北口投手は早稲田大学出身でした。私は明治大学出身でしたから、東京六大学時代のライバルと再び対戦することになったのですが、ノーヒットと完璧に抑え込まれて、0対3の完封負けを喫しました。勢いで予選を勝ち上がってきて、この大会は自信を持って臨んだのですが、やはり甘くありませんでしたね。

試合後のヒーローインタビューで「完璧にやられました」と答えた記憶があります。でもこの年は、今振り返っても、実に充実した1年でした。

(語り=森泉 弘さん)

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