第6回 【荒井信久さん】 第7回大会(1980年) 1回戦の大昭和製紙北海道戦で満塁本塁打!2013年11月03日

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 私の日本選手権の思い出のベストゲーム第6回は荒井信久さんにお話を伺いしました。荒井さんは成東高出身。中日で活躍した鈴木孝政氏とバッテリーを組みました。明治大に進み、神戸製鋼時代は捕手として活躍。引退後は87年秋から神戸製鋼の監督に就任し、96年から01年まで明治大の監督を務めました。横浜ベイスターズのスカウト部長、オリックスのスカウトを経て、2011年6月に千葉黎明の監督に就任した荒井さん。荒井さんが選ぶベストゲームとは?

1980年5月28日大阪球場
第7回 日本選手権 2回戦 
神戸製鋼  510 010 200 =9
大昭和製紙北海道 000 001 010 =2

荒井信久氏(元神戸製鋼)のベストゲーム



 この時期になると日本選手権のことを思い出しますね。その中で一番思い出に残っているベストゲームは1980年の日本選手権の大昭和製紙北海道戦ですね。私は6番捕手で出場していたのですが、5番打者がヒットを打って1点を先制し、一死満塁の好機を作りました。相手の河瀬さんは大昭和北海道のエースで、シュートが得意な右投手でした。そのシュートを私は狙い、振り抜いたらなんと本塁打になったんです。そのまま、私たち神戸製鋼は、初回に5点を奪って、そのまま逃げ切り、9対2で勝利することができました。

 前年から金属バットが導入された影響で、野球自体が変わったなという印象があります。国際大会に合わせての導入になったと思いますが、本当に大変でした。それまでは守備をウリにするチームでしたが、金属バットになったことで、本塁打が出るようになりましたね。私も金属バットで本塁打がガンガン出るようになりましたが、逆にいうと、捕手からすれば、簡単に本塁打が出ますから大変でしたね。この試合は、相手チームに2本も打たれてしまいました。守り重視の野球から攻撃重視の野球へ。社会人野球は一つの転換期を迎えた時期だったと思います。

 現在、神戸製鋼は休部になって、チームは活動していません。ですが、今でもチームの仲間や関係者の方々とは交流会をやります。充実した社会人野球人生でありましたし、今でも神戸製鋼野球部をとても誇りに思っています。

(語り=荒井信久さん)

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