第8回 【須田喜照さん】第28回大会(2001年)「野球人生の中で最も充実した一年」2013年11月07日

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 私の日本選手権の思い出のベストゲーム第8回は須田喜照さんにお話を伺いしました。
 須田喜照さんは山梨学院から専修大を経て東芝に入社。左の技巧派左腕として活躍。1999年に都市対抗優勝に貢献し、橋戸賞を獲得。さらにその年と2000年にもベストナインを獲得しました。引退後、母校である山梨学院の監督に就任し、今年から山梨学院大の投手コーチに就任しました。須田さんに社会人時代について語っていただきました。

2001年10月6日~10月14日大阪ドーム
第28回 日本選手権 
1回戦 対一光 6対1
2回戦 対NTT西日本 7対2
準々決勝 対JR東日本 12対5
準決勝 対三菱自動車京都 13対4 
決勝 対三菱重工長崎 0対5

須田喜照氏(元東芝)が振り返る2001年

 私は第28回日本選手権が印象に残っていますね。この時はチームは準優勝まで勝ち進んだんです。当時、私は後輩の銭場 一浩と交互で投げあっていたんですよ。私は左の技巧派で勝負していました。技巧派で勝負しようと思ったのは東芝入りして、5年目(1997年)。当時は直球にスライダー、カーブ、スクリューを投げていました。その時に高橋尚成(巨人~メッツ~パイレーツ~カブス~ロッキーズ)が入ってきたんです。尚成は2年でプロ入りするぐらいの気持ちで東芝に入ってきました。意識は高かったですし、尚成にはいろいろなことを学びまして、スクリューの握りも彼から参考にしました。

 それもあって、左の技巧派の投球スタイルが完成して、1999年に都市対抗優勝することもできて、橋戸賞もいただくことになりました。2年連続でベストナインを獲得して、今までの野球人生の中でピークだったのは2001年。日本選手権準優勝を決めて、11月に行われたワールドカップで日本代表に選ばれました。

 プロ野球選手が混じっての日本代表でしたが、投手陣の最年長でしたし、メンバーも中野渡進(元横浜)、鷹野史寿(元近鉄)と社会人時代から知っているメンバーもいれば、捕手では黒須隆さん(日産自動車)、西郷泰之(三菱ふそう川崎)と知っているメンバーもいましたので、懐かしさを感じましたね。

 引退後、今では母校の監督を経て山梨学院大のコーチをしています。今年の4年生は監督の高橋一三さんが見た教え子で、特にプロ入りした高梨裕稔は高橋さんが手塩をかけて育てていました。3年生以下は自分が見ることになりましたので、今までの経験をしっかりと伝えていきたいと思います。

(語り=須田喜照さん)

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