第9回 【山本隆之さん】第32回大会(2005年)「一社会人の投手のポジションを確立できた大会」2013年11月08日

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 私の日本選手権の思い出のベストゲーム第9回は山本隆之さんにお話を伺いしました。
 山本隆之さんは広島商から法政大を経て2002年に松下電器(現・パナソニック)に入社。2005年の日本選手権では、4試合のうち3試合に先発。2勝をあげ、5年ぶりの優勝に貢献し、最高殊勲選手賞を獲得しました。以降、パナソニックのエースとして活躍した山本さんに、ベストゲームについて語っていただきました。

2005年11月23日大阪ドーム
第32回 日本選手権 2回戦
東芝   000 001 000  1
松下電器 100 0001 02× 4

山本隆之氏(元パナソニック)が振り返るベストゲーム

 私の思い出のベストゲームは、優勝した2005年の第32回大会の初戦(2回戦)の東芝戦ですね。この年は初めて自分が松下電器の中心投手として投げることができた大会で、そして優勝することができて、一社会人投手として一本立ちできた大会だったと思います。それまでのエースは丸尾英司さんでした。丸尾さんは勝てる投手でした。でも大会を勝ち抜くには丸尾さんだけでは無理なので、丸尾さんが投げないところで、若手が投げる。そこに私が投げていました。それまでは投げさせてもらっているものでしたが、この大会は初めて期待されてマウンドに登りました。

 初戦は東芝戦。初戦はどんなチームでも難しいと思うんですよ。だからこそエースは初戦を任されるものなので、その舞台で先発で投げることができて嬉しかったですね。東芝の先発はエースの磯村秀人さん。その磯村さんと投げ合って勝つことができて嬉しかったです。この大会では、4試合のうち3試合を投げました。この年までは2回戦登場で、本来ならば初戦から決勝まで5試合ありますよね。5試合あったら、そのうち4試合を投げるつもりでいました。

 現役時代、社会人のエースは5試合のうち4試合を投げるのが当たり前だと思っていました。疲労だとか、そんなことは言っていられないと思っていました。なぜならば私たちは野球で仕事をしていて、会社の方は試合を見ていますし、その結果で私たちを評価するからです。

 この大会で優勝して、エースとして投げることが多くなったので、丸尾さんのようになって、若手に厳しい場面で投げさせる場面を与えてあげたいと思うようになりました。ですが、それ以降なかなか勝つことが出来なくて申し訳ないと思っています。勝ちを意識しすぎたところがあったと思います。優勝した2005年は無我夢中で投げていました。それが結果となって出たのかなと思っています。

 現役を引退して、野球に携わりたいかというと、今はそんな気持ちはありません。今は一社会人として仕事をいただいておりますが、社会人として身に付けなければならないことが多いと実感しています。いずれ指導するときに、社会人野球を経験しても社会人を経験していなければ、教えられないと思っています。野球人は目立ちますから、なにかあると「野球部は…」と何かといわれる立場です。今野球をしている後輩たちもいずれユニフォームを脱いで、社会人になる時があります。それまで私は元野球部のエースとして立派な社会人になるために人間として成長したいと思っています。

(語り=山本隆之さん)

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