第1回 山口きららマウントG(山口県防府市)2011年11月24日
複数企業で働いている選手が集結したり、地元志向の選手が地域に根付いて野球を続けたり…。クラブチームは、企業チームとは違い、それぞれにどのような方向性を持ち、野球をしているのだろう。
チーム名を防府クラブから山口きららマウントGへ。そんなチーム名から想起されるのは、地域で結成されたチームの名前を単にリニューアルしたのだろうか。それとも山口県下から選手が集結し、チームを強化したのだろうか。
年々、企業チーム数が減っていく中、クラブチームとしてのリニューアル化を図り、企業チームと紛うことない熱意と雰囲気を兼備する山口きららマウントG。そんなチームが歩んできた足跡を辿りながら、クラブチームとしての面白さに迫った。
防府クラブから山口きららマウントGへ

"左から上ノ内晃、松本浩一郎"
今年の9月に行われた第36回全日本クラブ野球選手権大会。山口きららマウントGは、前身の防府クラブから数えると6年ぶり8回目の出場(現チーム名としては初出場)を果たし、しかも過去6回続いた初戦敗退を一蹴している。
そのチームを支えている、忘れてはならない人物がいる。地元・山口県出身であり、自らもかつては早鞆高校野球部に所属し、甲子園でも安打を記録している歌手の山本譲二である。
数年前に都市対抗野球の開会式で君が代を独唱するなど、野球好きとして知られる山本が、大きな一歩を踏み出そうとしたのは約6年前のことだ。
かつては企業チームが数社ひしめいていた山口県だが、次々と企業チームが廃部を余儀なくされていた。そこで「山口県を元気にしたい」という思いが強い山本は、それまで防府クラブとして活動していたチームを引き継ぐことを決意した。そして、自らが総監督となり、新生・山口きららマウントGとして新たな船出を果たしたのである。
山本は、普段は芸能活動で多忙な生活を送っているため、総監督という立場になって、野球の技術指導をするというよりも、むしろ野球本来の楽しさを伝えるべく、故郷・山口県出身の錚々たるメンバーにも声を掛けた。監督に池永正明(下関商→西鉄ライオンズ)、助監督には高木豊(多々良学園→中大→横浜ベイスターズ(元大洋))、さらに応援団長としてお笑いタレントの松村邦洋を集めた。実力だけではなく、人気も兼ね備え、誰からも愛される本来の野球を世間に伝えるために。