第5回 西部ガス(福岡県福岡市) 2013年08月26日

【目次】
[1]ゼロからのスタート
[2]社会人野球監督としての想い/効率練習こそ上達への最短
[3]目標は社会人日本一
楽しくて仕方がない。西部ガス硬式野球部の話になると、杉本泰彦監督の表情から、つい笑顔がこぼれる。
「何もないところから関わってきていますからね。このチームがどのようになっていくのか。いつもワクワクしています。僕はクリエーターだと思っています」

西部ガス 杉本泰彦監督
西部ガス硬式野球部が誕生したのは2012年4月だった。その前の準備段階から杉本監督はアシストしてきた。正式発足とともに監督要請の声がかかるのは自然な流れだった。
「私自身が、監督を探していました。社会人野球の現場から長い時間離れていましたが、0からのスタートであるならやってみようと思いました。」
社会人野球の世界では「撤退」「休部」「廃部」の文字が並ぶ昨今だ。日本一にもなりプロにも多くの選手を輩出してきた名門チームが社会情勢の悪化により、撤退を余儀なくされた。
そんな状況に逆らうように創立したのが西部ガス硬式野球部だった。きっかけは社内の声だった。
「会社にもシンボリックなクラブが欲しい。硬式野球部を立ち上げてはどうでしょう?」
その声に経営陣が反応して、設立までトントン拍子で進んだ。当時は軟式野球部など限られたクラブ活動しかなかった。都市ガス業界で大手4社と言われる東京ガス、大阪ガス、東邦ガスには硬式野球部がある中で、西部ガスにはなかった。
正式発表する前に噂だけが駆け回った。高校、大学球界に設立する話が伝わるのは速かった。松薗 史敏主将は九州共立大4年だった当時を振り返る。
「噂は聞いていました。実際、杉本監督がグラウンドに来られて〝噂は本当だったんだな〟と思いました」
選手は九州出身者のみで構成される。部員全員が25歳以下と若い。プロ経験者もいなければ、ベテラン選手もいない。野球を続けたい一心で西部ガスにたどり着いた者もいた。
発足時は18人。新加入の13人に軟式から加入した5人で構成された。コーチとして駒大苫小牧監督だった香田 誉士史氏を迎えてのスタートとなった。