時代を映してきた都市対抗野球

印刷する このエントリーをはてなブックマークに追加   

第6回 時代の流れの中で、企業スポーツの基盤に変化2012年07月15日

ヤマハ 戸狩聡希選手(インタビューはこちら

 それでもまだ、川崎製鉄千葉、川崎製鉄神戸、川崎製鉄水島に新日鐵住金かずさマジック勢や住友金属、神戸製鋼という、鉄道局や電電とともに都市対抗の主役を演じてきた鉄鋼・金属チームは存在感を示していた。しかし、日本鋼管のチーム統合が鉄鋼関係企業にとって、一つの方向性の示唆だったということは、今思えばこの時期から徐々に発生してきていたのではないかということである。
 ところで、90年代は浜松市のヤマハに始まって東芝、日本石油、和光市・本田技研(現Honda)横須賀市日産自動車など、92年の大阪市・日本生命以外はすべて静岡を含めて東日本勢、しかも首都圏勢が黒獅子旗を手にしている。準優勝も浦和市・日本通運、東京都・熊谷組など首都圏勢が多かった。

 

 これも、企業の中央集権化を顕著に示していると言えなくもない。もっとも、日本の産業構造からいっても、首都圏に大企業の本拠地が集中していることからも、当然といえば当然のことともいえようか。企業対抗でもある都市対抗野球の代表チームそのものが、東京と神奈川、千葉・埼玉に東海道の静岡を含めて3分の1を占めてしまうという現実からすれば、それだけの優勝チームが出てくるのは、確率からいっても高くなっていた。
 80年代にセンセーショナルに登場してきたプリンスホテルも、90年代前半にはまだまだ、その力を示していた。しかし、96年には1回戦で神戸製鋼に0対13で大敗。翌年の出場を最後に全国の舞台から姿を消し、やがてチームそのものもなくなっていってしまうことになる。


【次のページ】 時代の流れの中で、企業スポーツの基盤に変化(3)


【関連記事】
第8回 伝統ある都市対抗野球も、新時代突入となるか(最終回)【時代を映してきた都市対抗野球】
第7回 21世紀になって、都市対抗野球にもさまざまな変化が・・・【時代を映してきた都市対抗野球】
第5回 社会人野球の使命、都市対抗野球の役割【時代を映してきた都市対抗野球】
第4回 社会人野球最盛期の後楽園球場【時代を映してきた都市対抗野球】
第3回 60年代の時代背景と都市対抗野球全盛時代【時代を映してきた都市対抗野球】

コメントを投稿する