時代を映してきた都市対抗野球

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第6回 時代の流れの中で、企業スポーツの基盤に変化2012年07月15日

 代わって登場してきた特殊業種としては調布市・シダックスがあった。シダックスは、カラオケボックスで有名になったが、元々は給食事業から発展して学校や公共施設、企業などのケータリングサービスで成長した。やがて、93年からカラオケ事業を展開し、カラオケボックスの発展とともに大躍進していった企業である。まさに、新時代の産業として社会人野球にも参入してきたのである。
 当初はキューバからナショナルチーム代表選手や監督を迎え入れるなどして急速にチーム強化を図り、2年目の94年に都市対抗本大会に出場を果たしている。さらに、97年には強力打線でベスト8に進出して注目された。

 ことに、当時は金属バットを使用していたこともあって、キューバからの選手の力任せのスイングでとらえたボールがピンポン玉のようにスタンドに吸い込まれていくというシーンもよく見られた。

 この時期は、予選でも打ち合いの展開となる試合も多く、狭い川崎球場を使用していた神奈川予選などでは、「10点リードでもセーフティーではない」と言われるくらいに、打撃優位の時代だった。だから、スコアも両チーム2ケタということもざらで、代表決定戦で24対17などというラグビーかハンドボールの試合かと思われるようなスコアの試合もあったくらいだ。
 神奈川でもシダックスに負けてなるものかと、藤沢市。いすゞ自動車にも外国人選手が加わっていて、そのパワーを見せつけていた。予選はもとより、本大会でも試合そのものも空中戦が多く、ボクシングでいうならばノーガードの打ち合いみたいな試合も多かった。
 ちなみに90年の決勝は浜松市ヤマハが12―11で姫路市新日鐵住金広畑を下している。ヤマハは1回戦でも西濃運輸から10点を奪っている。2回戦ではNTT東海が東芝府中に12―11というように2ケタをめぐる乱戦が多くなっている。翌年の決勝も東芝が16対6で三菱重工長崎を下している。この年の東芝は1回戦から13、12、10、8点とことごとく打ち勝ってきている。というよりも、野球そのものが打ち勝たなくては勝ち上がれないようにもなってきていた。92年の本大会31試合中完封試合は1試合のみしかなかった。翌年も同じくで、金属バットの性能がより上がっていき、反発力が増していく中で、まさに投手受難の金属バット時代になっていた。

 97年には1回戦で日産自動車17対7四国銀行、浦和市・日本通運12対10王子春日井、NTT北海道16対11川崎製鉄水島というように、大味な試合が相次いでいた。この大会では2ケタ得点試合が12試合。そのうち3試合が両チーム二桁得点という試合である。
 企業チームの存続が揺れ動いていく傾向が起きつつある中で、試合そのものも大味なスコアが多くなってきたことで、成熟しきった社会人野球が爛熟期に入ったという印象に重ねるのは穿った見方であろうか。

(文=手束 仁)


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