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第7回 日産自動車硬式野球部 OB座談会2014年07月15日

【目次】
[1]【動画】休部発表、その時の思いは?
[2]休部発表、その時の思いは?
[3]2000本の振り込みが名物練習
[4]今、野球との関わり方は?

休部発表、その時の思いは?

伊藤祐樹(内野手・1995年入社)

――09年2月9日、休部が発表されました。みなさん、どのような状況、思いで、休部を聞いたのでしょうか?

伊藤祐樹(以下「伊藤」) 午後から決算発表の日だったのですが、その前、練習が始まろうとしている時に、食堂に集められ、実は休部になる、ということを監督の口から聞きました。聞いたときは現実味を帯びない感じではありましたね。

吉浦貴志(以下「吉浦」) 今日なくなる、というわけではなく、あと1年あると聞いていたので、実感はわかなかったです。

四之宮洋介(以下「四之宮」) 僕自身は、職場の人とかの話を聞いて、薄々、やばいな、というのを気づいてはいましたね。

四之宮洋介(内野手・2000年入社)

――02年にいすゞ自動車、08年に三菱ふそう川崎の硬式野球部がなくなるなど、厳しい状況の中、日産は休部の噂がありながらも、なんとかチームを維持してきました。

四之宮 都市対抗の神奈川予選にはかつて、いすゞや三菱ふそうがいました。選手一人一人、チームから受ける影響や、もらえるエネルギーが大きく、僕らは育ててもらったと思うんです。僕らがいなくなることで、そういうのを次に残していけない、つなげていけないというのは、無念で仕方なかったです。

伊藤 まさか本当に休部になるとは、想像していなかったのが事実です。こんなにも大勢の方が野球部を応援してくれていたんだな、というのを、最後にあらためて感じることができましたし、そういった意味でも、最後は、今まで以上に、会社を背負ってプレーしている、というのを強く感じました。

吉浦貴志(外野手・1998年入社)

――休部となり、他のチームに移籍した選手もいました。みなさんはどのように考えて、会社に残る選択をされたのでしょうか?

伊藤 個人的には、野球をものすごく続けたかったんです。ただ、この日産に背を向けることだけはできないと思っていました。今までやってきたことを踏まえて、うちのチームでやってくれとか、こういう野球をしたいと思っているんだとか、自分の中ではそういう話を他のチームとしたかったんですよね。

四之宮 僕もやりたいという思いはありましたが、家族と自分のやりたいことを天秤にかけてみたんですよね。それで、僕の人生はまだ、これで終わりじゃないし、どこで何が起こるかはわからないから、そろそろ会社の仕事をするのも悪くないかなと思ったんです。

――この中で一番入社年の若い吉浦さんはいかがでしたか?

吉浦 僕は入社した時からプロに行きたいと思っていました。休部する時も、もう30歳だったんですけど、「プロに行きたいです」というのを監督に言いましたね。無理だとはわかってたんですけど。

伊藤・四之宮 そんなことないやろ(笑)


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