連載企画 Human 筑川利希也選手(Honda)序章 「ヒーローは、再び」

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第3回 誰かのためのピッチングをしたい2013年03月14日

 「苦しんでいたこの2年間で、僕という人間が変わりました。考え方も変わりました。丸くなったというか、周りが見ることが出来るようになったんです。今までは、自分さえ頑張れば、自分さえ良ければという考えでした。でも、手術を経験したことで、自分だけじゃ何も出来ないんだということが分かった。周りの人が、どれだけ自分を支えてくれていたのかを感じられました。人間として大きくなることが出来た2年間でした」

 だからこそ、筑川は新たな目標を見つけることが出来た。投げ続ける理由。それは、これまでの「自分のため」から、「誰かのため」へと変わった。

「自分が今、経験していることや、手術やリハビリの経験を次の世代に受け継いでいきたいと思うようになったんです。それで、プレーヤーというよりも、選手をサポートする側の職に就こうと考え、色々な勉強を始めました」
 筑川は、マウンドに上がらなかったこの2年間で教職の授業を受け、トレーニングの勉強も本格的に始めた。東海大学といえば、最先端のトレーニングを研究している大学のひとつでもある。
 実は、大学1年時に筑川が150キロをマークできたのも、この東海大のトレーニングのノウハウを取り入れたからだったという。

「パフォーマンスを高める専門的な研究を行う東海大の環境を知っていて、東海大への入学を選んだというのもあって、1年生の時に、大学の研究室でピッチングの動作解析を行なって、ここの筋力をつければ、球速が上がるというトレーニングメニューを作っていただきました。またフォームも、この角度から投げれば球速が出る。そういったアドバイスを取り入れた結果、150キロが出せましたね。
 その時の経験で、研究すれば、ある程度結果が出るということが実感できたので、研究によるトレーニングには興味を持っていました」

 社会人になった今でも筑川は、当時一緒に研究をしていたメンバーに、理想のフォームや、そのためのトレーニング方法の相談をすることがある。これもまた、自分のためではなく、「将来、子どもや大人たちに野球を指導する機会があれば、それを参考にしたいから」だと話す。

 そして、大学4年の春。長いリハビリ生活を終え、筑川は2年ぶりにマウンドに帰ってきた。だが、そのピッチング内容は、“完全復帰”とは言い難いものだった。
 とはいえ、この時点で筑川はすでに、プロ入りの道も諦め、大学卒業後も野球を続けるつもりはなかった。他の学生たちと同様に、リクルートスーツを着て、就職活動もした。

  だが、マウンドに再び帰ってきたあの春のヒーローの存在を、スカウト陣や企業チームの首脳陣らが、気にならないわけがなかった。


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