連載企画 Human 筑川利希也選手(Honda)第3章 自分を追い込むと決めた2年間のリミット

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第4回 自分を追い込むと決めた2年間のリミット2013年04月11日

 そんな筑川に真っ先に声を掛けたのが、埼玉県狭山市にあるHondaの当時の監督・宇田川丈昌氏と、次期監督となる安藤 強氏だった。

「もともとは、Hondaは菊池一也(東海大相模-東海大)に声を掛けていたと思うんです。それで、僕は高校時代に菊池とバッテリーを組んでいましたし、安藤さんは僕が大学1年生の時の投球を知っていたんでしょうね。もしかしたら、まだコイツは投げられるのかもしれないと思って、菊池と一緒に僕に声を掛けてくれたんだと思います。僕は、大学で野球を辞めるつもりだったんですが、何度か安藤さんともお話しをさせていただくうちに、気持ちが変わっていったことは確かです」

 野球は、大学でスッパリと辞めるつもりだったという筑川も、リハビリの甲斐あって、少しずつ投げられるようになっていることは、筑川が一番よく分かっていた。
 また、高校以来、捕手の菊池と一緒にバッテリーが組める可能性にワクワクしている自分もいた。当時の東海大相模のメンバーたちもそれを望んでいることも筑川は知っていた。

「プロを目指したいという思いは、全くありませんでした。まずは、Hondaからも2年間という期限をいただいたので、その期間だけ、思いっきり打ち込んでみることに決めたんです。死ぬ気でやって、自分をどこまで高めることが出来るのか。それをここで、挑戦してみたかった」  

 そして、2005年4月。筑川は、グラブを手放すことなく、Hondaへ入社する。

「とても楽しみでした。周りがもうアイツはダメだろ?と言う中で、どこまで自分を追い込んで練習が出来るのか。ただ、実際に入社してみて、一度、僕は野球を辞めるレベルまで落ちていたので、なかなか社会人野球のレベルについていくことが出来なかった。
 言ってみれば、一般の学生が、超一流のHondaの野球部に入ったという感じですよね。本当に練習についていけなかったので、毎日怒られていましたよ。『お前、一年で野球部やめるのか?』と言われながらも、練習を続けていました」

 入社1年目の筑川の練習のほとんどは、走り込みだった。それでも、筑川は、下を向くことなく、黙々と走り続けた。エースになりたい、プロに行きたい。そんな思いは一切なかった。ただただ、自分のベストピッチングを早くマウンドで見せられる日を目標に、筑川は練習後も外出することもなく、空いた時間があれば、ひたすら練習に明け暮れた。


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