連載企画 Human 筑川利希也選手(Honda)第5章 自ら拓いた新たな道

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第6回 ドラフト戦線の行方2013年05月13日

 入社して、約束通りの『2年』が経とうとしていた。その年の12月から、Hondaの野球部監督に就任となる安藤氏から、「来年も続けてほしい」と言われた。筑川に迷いはなかった。野球を続けたいとか、プロに行きたいとか、そういう思いではなく、「安藤さんのために投げたい」。ただ、それだけの思いで、うなずいた。

「僕は、安藤さんのおかげで、Hondaに入ることが出来たと思っていましたから。安藤さんが翌年、監督に就任すると聞いていたので、今なら恩返しが出来ると思ったんです」

 そんな筑川に、安藤監督は言った。
「プロという目標があるなら、それを目指して頑張ってほしい」
 監督の言葉に励まされ、筑川は入社3年目のシーズンもフル回転した。しかし、この年も、筑川はドラフトで指名されることはなかった。

「社会人に入ってから、一番苦しい時期でしたね。自分のパフォーマンスを最大限に魅せようという思いで投げていました。また肘の痛みも再発したんですが、多少痛くても投げ続けてしまったんですよね。抑え方も、当時はすごく強引で、三振を狙おうとしたり、速球を投げようとしたり。とにかく評価が高い投球をみせることしか考えていませんでした」

 怪我から復帰し、野球をがむしゃらにやってきた1、2年目。結果が出るように、マウンドに立つことが当たり前になった3、4年目。
 それでも、「安藤監督がいるうちに日本一になりたい。監督のために投げたい」その思いだけは、ずっと筑川の心にあった。

 しかし、力めば力むほど、良い結果は生まれなかった。
「チームも優勝できそうで出来ない状況が続いていました。僕自身も悩んでいて、やっぱり社会人野球は分業制なので、自分はここを投げたいという思いがありながらも、チームのために、ここで投げてほしいと言われたら、自分の希望を押し殺さなければいけないんですよね。先発や中継ぎで転々と投げることは、プロのスカウト側は、評価しにくい部分ではあるので、気持ちの面では、スカッとしなかったですね」

 入社して2年目以降、ドラフトにかかりそうでかからない。そんな状態が続いていた。
 しかし、当時は、社会人で入社4年目の秋のドラフトで名前が呼ばれない選手は、その後のプロ入りの可能性はほぼ無いといわれる時代だった。
だからこそ、2008年秋。この年のドラフトが、筑川自身、ラストチャンスだと感じていたのだ。

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