第26回 パナソニック 近藤 大亮投手 【前編】「野球にかかわる」から「プロ野球選手を目指す」への道程2015年10月20日

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【目次】
[1]「プロ野球を目指す」に変化した浪速高でのある試合
[2]人間性を高め、故障を乗り越えた大阪商業大時代
[3]壁が破られ、実績が積み上げられてくる

 夏の甲子園王者相手に延長12回まで無失点。13回に勝ち越しを許すも、好投を見せたことにより周囲の評価は上昇。そして近藤自身もまた、これまで押し殺していた感情を出すようになっていた。
大阪桐蔭にあれだけ投げられたこと。そして強いチームと戦っていくうちに少しずつプロへ行きたいと思うようになっていきました」
最後の夏はベスト16に終わるも、近藤の目線は自然とさらなる高みを見据えたものとなっていった。

 かくして関西六大学野球リーグの名門・大阪商業大の門を叩いた近藤。ここで彼は富山 陽一監督との運命的な出会いを果たす。

人間性を高め、故障を乗り越えた大阪商業大時代

近藤 大亮投手(パナソニック)

 近藤の入学とともに監督に就任した富山監督。まず選手たちに施したのは「人として当たり前のことをこなす」ということであった。近藤が当時を振り返る。
「大学に行けば技術的なことをもっと教えてもらえると思っていました。でも、挨拶、礼儀、言葉遣い、掃除など・・・・・・。最初、富山監督から教えて頂いたことはそれだけ。みんな『それが野球の役に立つのか?』と思っていました」

 しかし大学2年、3年になるにつれて、近藤はじめ選手たちは思い知らされる。『人として当たり前のことをこなす』それが当たり前にできるようになったチームが徐々に順位を上げてくることを。
「自分が入学した時は、5位、6位だったチームが、3年秋に3位になったんです。チームや僕も人間的に変われました。ですから、富山監督は信頼できる方。僕にとっては恩師です」

 その近藤自身も3年春までは度重なる故障に苦しんでいた。
「その時は肩を痛めていて、何が原因かなと思ってMRIを撮っても全く異常なし。そして針をやったんですけど、逆効果で肩が緩くなって、どうしようかなと思っていました」
そこに救いの手を差し伸べたのが、当時トレーニング部門を担当していた森元 静磨コーチ(現:M‘s baseball Acedemy代表)である。

「腕の振りに体が全然追いついていない。体を根本的に鍛えなそう」
近藤はテイクバックを大きく取り、躍動感のあるフォームが特徴。
しかしこのフォームは投げる際のエネルギー消費が大きく肩が消耗する。ならば、それに耐えきれるだけの筋力、体力をつけることが重要になる。そして近藤は初めてウエイトトレーニングに取り組むようになった。

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プロフィール

近藤 大亮(こんどう・たいすけ)
近藤 大亮(こんどう・たいすけ)
  • 所属:浪速高校-大阪商業大学-パナソニック
  • ポジション:投手
  • タイプ:右投右打
  • 身長体重:178センチ/75キロ
  • 1991年5月29日生まれ
  • 上記データは掲載時のものとなります。
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