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第2回 Honda熊本 山中浩史選手2011年11月10日

 地面スレスレの位置から浮き上がる高品質のストレート。自ら「ストレートも変化球だと思っている」というボールを自在に操り、打者を翻弄させるアマチュア球界きってのアンダースロー。
今年も自身3度目の日本代表としてIBAFワールドカップに選ばれた山中であるが、改めて振り返ってみると、熊本一筋である。熊本県天草市で生まれて、野球歴も新和町立(現・天草市立)新和中学、熊本市立必由館高、九州東海大、Honda熊本。そんな火の国の九州男児・山中が、珍しく且つ難しいといわれるアンダースローでこだわり続けることがあった。

現在のアンダースローにたどり着いたことについて

"ボールに力が伝わりやすいことに気付いた"

――アンダースローにたどり着いた経緯、またはキッカケを教えてください。

山中選手(以下「山」) 小学校の時は、ソフトボールをやっていたのですが、ソフトボールって投げる時はサイドじゃないですか。その影響なのか、中学から野球(軟式)を始めて、2年生の時にピッチャーになった時も自然とサイドでした。
 高校に入っても、そのままサイドだったのですけど、たまにキャッチボールとかの遊び感覚で下(アンダースロー)で投げているうちに、ボールに力が伝わりやすいことに気付いて、自分に合っているのかなって思い始めました。
 それで高校2年の5月頃にあったNHK旗の予選で、いきなり試してみたんです。相手はその年の春の県大会で優勝していた済々黌だったのですけど、完投に近い形で抑えられたので、そこからずっとアンダースローになりました。

――必由館時代に夏の甲子園、九州東海大時代には大学選手権、そしてホンダ熊本に入ってからも全国大会を経験していますが、高校、大学、社会人と経験するにつれて何か変化してきたことはありますか?

「山」 今思えば、高校生の時は、ただ投げている感じがしますけど、だんだん年を追うごとに、体全体で投げられるようになりました。
 特に社会人に入ってからは、下半身と上半身の筋肉がついたことで、安定するようになり、楽に投げられるようになりました。そのことで故障もしなくなりましたし、球に力強さが増して、キレもよくなりましたね。


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