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第16回 日本生命 小林 誠司 選手2012年11月05日

現在、日本選手権大会で勝ち進んでいる日本生命。
今回は、入社1年目ながらマスクを被る小林誠司捕手をピックアップ!

【目次】
[1]広陵から同志社大、そして日本生命へ
[2]チームにとっての自分の役割



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広陵から同志社大、そして日本生命へ

▲日本生命 小林誠司 選手

 「初球から狙っていきました。先制打になったので良かった」
 第38回日本選手権大会(2012年)、13対0で1回戦を大勝した日本生命の捕手・小林誠司は、先制犠飛の場面をそう振り返った。
 入社1年目。
「日生の中では、まだ自分のバッティングは下の方」と語るが、その思考能力は名門・日本生命でも生かされている。

「先輩方が意見を言える空気を作ってくださっているので、1年目やからとかは考えずに思ったことは声を掛けて、しっかりしたキャッチャーになりたい」
 小林の頭にあるのは常に捕手目線の考え方だ。それがたとえば、彼の課題でもあるバッティング面でも然りである。

「相手バッテリーが嫌がるバッティングを心がけています。初球から振っていくバッターだという印象を与えられたら、相手は初球をボールから入ろうという考えになると思うんですよ。眼には見えないですけど、そういうことが次のバッターにもつながったりするので、いやらしいバッターになっていければと思います」

 この日は2打点を挙げたが、打席ではともに初球を振っていってのものだった。
「初球を振っていく中で、打てるところを広げていきたい」とこの日の試合を小林は振り返った。

 小林は、広陵から同志社大と野球界では、エリートとも呼ばれる道を歩んできた。
 広陵高時代は甲子園で準優勝。07年夏決勝、「佐賀のキセキ」が起きた大会で、チームの捕手を務めていたのが小林だった。世間を騒がせたミラクルの陰で、小林は相手チームの歓喜を一番近くで見ていた。

「逆転ホームランの事が色々言われますけど、僕は先頭打者を出したことが悔いに残っています。8番のピッチャー久保に左翼前安打を打たれたんですけど、あの時、打たれたのはスローボールだったんです。バッティングがそうよくない下位打線に対して、なんで打ちやすいスローボールなんかを自分は要求したんやろって今でも思います。野村(祐輔=広島)に悪いことしたなって」

 以前、小林に当時のことを振り返ってもらった時、そんな話しをしてくれた。
 だが、小林にとっては、そうした屈辱が自身を奮い立たせるファクターになっているのも、紛れもない事実である。
「あの時のキャッチャーがこんな成長しているんやって、そう言われるくらいの選手になりたい」と小林は口癖のように言ってきたのだ。

▲同志社大時代の小林選手

 同志社大入学後すぐ、1年春のリーグ開幕戦で先発マスクを任される。同志社大は自主性を重んじる割と緩やかな練習の雰囲気が持ち味のチームだが、そんな中にあっても、小林だけは、常に上を目指そうとしていた。

「大学野球は自主性を重んじるものだと思っていましたけど、同大に入って思ったのは、実際何のために野球をしているのか、チーム一人ひとりが何を目的にしているのかが、見えなかった。自分のことじゃなくて、チームをどう変えていったらいいのか。みんなを同じ方向に向けるためにはどうすればいいのかばかり考えていた」
 大学3年から4季連続で優勝に貢献。彼の卒業後、同志社大が優勝できていないことから考えれば、彼の影響力がいかに大きかったかうかがい知れる。


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プロフィール

金城長靖
小林 誠司
  • 1989年6月7日生まれ
  • 捕手
  • 広陵高校-同志社大学-日本生命
  • 高校時代は夏の甲子園準優勝を経験。大学進学後は、1年春のリーグ開幕戦で先発マスクを任される。大学3年から4季連続で優勝に貢献。2012年に日本生命に入社。
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