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第20回 東芝 石川桜太 選手2013年11月01日

【目次】
[1]活躍する土台を築いた高校・大学時代
[2]東芝での一年間
強打の東芝で1年目からレギュラーになり、都市対抗では首位打者賞を獲得した石川 桜太(おうた)選手。高校時代、大学時代のお話、そして今年1年の振り返り、2年目にかける思いを語っていただきました。
活躍する土台を築いた高校・大学時代
――東海大望洋に進んだきっかけを教えてください。
石川 桜太(以下「石川」) 他に強豪校はあったんですけど、将来、体育教師になりたいと思っていたんですよ。大学で免許が取れる付属で、東海大は体育で有名だったので附属の東海大望洋を選びました。

東芝 石川桜太 選手
――東海大望洋の相川監督にはどんなことを教わりましたか?
石川 相川先生には基本的に野球はやらされてやるものではない。自分で考えてやるものだと。高校の時はやらされるときに自分から覚えて考えてやるものを教わりました。
――高校時代は、東千葉大会で準優勝。どんな夏でしたか?
石川 悔しかったですけど、その時よりも2年夏が印象に残っています。自分は1年秋から出させてもらって、それまで1歳上の先輩と一緒にずっとやってきて、最後に「お前ら頑張れよ」と言われたときは、号泣でした。
――その後、東海大学に入学。実際に大学強豪チームでプレーされていかがでしたか?
石川 先輩たちは身体能力が非常に高い上に技術が洗練されていて、自分は1年からAチームとBチームを行き来しながらやっていたんですけど、自分が自信をもってプレーできるような状態ではなかったので、非常に苦しかったですね。
――そこからどのようにしてレギュラーを獲得したのでしょうか?
大谷 当時のコーチの方が、僕が打てない原因を教えてくれました。後ろの肘(左肘)が下がって、ヘッドが出ていないことが多いということを指摘していただいきました。本来は肘が前に出て、ヘッドが自然にぬけるフォームにしたかったのですが、以前のフォームに体が染みついていたので、ちょっと意識していてもなかなかその形にできなかったのですが、でもずっと継続してスイングしていたら、結果が出てきました。以前よりはポイントの幅が広がったと思います。
特にバットの出し方が以前より良くなかったことで、当たり損ねでもヒットになってくれました。打球の質が変わってきたかなと思います。そのおかげで、大学4年春に首位打者を取ることができました。大学4年は自分の人生に勝負をかけていた1年だったので、本当にうれしかったですね。

- 石川 桜太(いしかわ・おうた)
- 所属:東海大望洋高校-東海大学-東芝
- チーム在籍年数:1年
- ポジション:外野手
- タイプ:左投左打
- 身長体重:180センチ/83キロ
- 1990年5月17日。千葉県出身。
- 上記データは掲載時のものとなります。