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第21回 東芝 萩野 裕輔 選手2013年11月27日

【目次】
[1]想定外の活躍
[2]大学時代から東芝に入社して変化したこと
[3]研究されても結果が残せる投手でありたい
第84回都市対抗野球大会でベスト4に勝ち進んだ東芝。その4強入りに貢献したのがルーキーの萩野 裕輔投手でした。萩野投手は都市対抗全4試合に登板して3勝を挙げる大活躍で、若獅子賞を獲得。(関連記事:【都市対抗野球】JX-ENEOSが51年ぶりの連覇達成!大城基志が2年連続橋戸賞)そんな若手注目選手筆頭の萩野選手に、今年1年を振り返っていただきました。
想定外の活躍
――新人賞(若獅子賞)おめでとうございます!1年目から大活躍でした。
萩野 裕輔選手(以下「萩野」) 正直、1年目から活躍出来ると思っていなかったです。1、2年で体を作って、3、4年目で勝負できればと思っていました。だから、都市対抗で3勝するなんて少しも思っていなかったです。自分の家族、知り合いがみんな思っていると思います。
エースの新垣 勇人さん(北海道日本ハムファイターズ)がプロ入り、木戸 一雄さんが引退したので、後ろで投げる選手がいない状況で入れることが大きかったです。
先輩方は、中継ぎよりも先発として投げる投手が多いので、中継ぎの自分にはチャンスがありました。自分は、コントロールは昔から自信がありまして、いつでもストライクを取れるのが長所だと思ってます。
――とてもうらやましい長所だと思います。
萩野 本当にそれしか長所がなくて…。同期の佐藤 翔太は球も速いですし、スライダーもキレていて、先輩はみんな良い投手ばかりですし。だから新人賞、若獅子賞も想定外です。
――この活躍にはご家族も喜んでいたのでは?
萩野 そうですね。大学3年秋になったMVPをとったときに親が大変喜んでくれましたが、でもその時よりも今の都市対抗の活躍を喜んでくれていると思います。家族は宮城から応援に駆け付けてくれて、興奮していましたね。
――なるほど。新人賞を獲得した都市対抗の投球は今までの野球人生を振り返って何点ぐらいの出来でしたか?
萩野 初戦の大阪ガス、2回戦の東邦ガス、ヤマハ戦はいつも通り投げられました。しかし準決勝のJX-ENEOS戦ではいつも通りの投球ができず打たれてしまいました。
6回表から1対3で負けている場面から登板することになりました。抑えて流れを呼び込みたいと思ったんですけど、4点取られてしまって、負けにつながる投球になってしまいました。あの試合のイメージが強くて、高得点は与えられないです。
――JX-ENEOSはこれまでの相手と何が違ったのでしょうか?
萩野 JX-ENEOSはつなぐ意識が強いです。まさに打線という感じですね。どこからでも点が取れるので、投手は気が抜けないですね。一発を打つ魅力は東芝の方が上回っていると思いますけど、JX-ENEOSの場合、誰が打席に立っても期待できると思います。
上位はヒットを打たれる気しかしませんし、それ以降の打線もそれまで対戦した打線とは違います。そしてスイングがコンパクトなんです。大振りする打線はタイミングを外しやすく、インコースを投げれば手が出ないことが多いのですが、JX-ENEOSはスイングがコンパクトで、抑えるのに本当に苦労しました。

第84回都市対抗野球大会 準々決勝 東芝vsヤマハ
――では、それまでの大阪ガス、東邦ガス、ヤマハ戦ではどの試合がベストピッチングだったと思いますか?
萩野 自分の中で一番よかったのは東邦ガス戦(2013年7月18日)でした。大会前は不調で調子が上がらない状態がありましたが、でも、都市対抗まで毎日400メートル走を走って、その結果、下半身がより使えるようになって好投することができました。
――下半身の使い方がよくなったのはその時期からなのでしょうか?
萩野 東芝に入ってからです。下半身の動きを投球につなげる意識が今までなかったんです。今までは根性論の中でやっていて、根性を鍛えるためにランニングをやっていました。これだけ走れば球速はもっと上がるから、と言われて、そのために走る、という。高校時代はそれで良かったかもしれません。けれども社会人に入って、下半身が動かないと鍛えてもピッチングにはつながらないよ、と教えてもらいました。それでストレッチの中で自分の可動域を広げていきました。あと、瞬発力は走らなければつかないので、それも継続的にやりました。それによって下半身で粘って投げられるようになったので、都市対抗3試合で良い投球ができたんだと思います。

- 萩野 裕輔(はぎの・ゆうすけ)
- 所属:東北高校-東北福祉大学-東芝
- チーム在籍年数:1年
- ポジション:投手
- タイプ:左投左打
- 身長体重:182センチ/88キロ
- 1990年7月23日。宮城県出身。
- 上記データは掲載時のものとなります。