第9回 プロ野球は百年構想をどう描くのか?2014年02月04日

2001年からMLBでプレーするイチロー選手
20年前──。
1993年にJリーグが開幕し、空前の盛り上がりを見せたあの年。12年という空白の時を経て、長嶋 茂雄が巨人の監督に復帰。ドラフトの抽選ではさっそく星稜高校のスラッガー、松井 秀喜を引き当て、満面の笑みを浮かべた。94年にはオリックスにイチローという彗星が出現、95年には野茂 英雄が海を越えてドジャースで快投を演じた。そして96年、すでに讀賣新聞のトップとして巨人の実権を握っていた渡邉 恒雄氏が正式にオーナーに就任、事実上、球界に君臨することとなった。この頃からニッポンでは”巨人”というドメスティックな軸と”メジャー”というグローバルな軸が二極分化を起こし始め、歪みが目立ち始める。
FA制度、ドラフト逆指名、自由獲得枠のシステム、こういった戦力均衡のバランスを崩すシステムは、いずれも巨人が積極的に導入を働きかけ、実現させたものだ。動機は単純明快、巨人にいい選手を集めるために他ならない。その結果、プロ野球の12球団には誰の目にもわかる序列ができてしまった。
巨人>セ・リーグの5球団>パ・リーグ
これは、ドメスティックな軸の中心に居座り続けながら、グローバルな軸が目障りになってきた巨人の焦りが誘発した、あってはならない序列だった。渡邉オーナーは、巨人がニッポンに君臨することこそがメジャーに劣っていないことを示す、唯一の方法だと信じていたのだ。しかし、Xデーはやってきた。
10年前──。
日本球界が誇った4年連続最多勝のスターター、近鉄の野茂 英雄。日本一のクローザー、横浜の佐々木 主浩。史上最高の安打製造機、オリックスのイチロー。投打のスーパースターが続々とメジャーの球団へ移籍した。しかし、そうした選手たちが何人、海を渡ろうとも、巨人にとっては関係のないことだった。
そりゃ、巨人以外の球団に所属している選手は、メジャーに憧れるさ。でも、巨人の選手はそうじゃない。巨人にいる限り、ここが世界一だ。巨人以上の球団はない。讀賣新聞のトップは、本気でそう思っていたフシがある。
しかし、巨人の中の巨人、キング・オブ・ジャイアンツ、不動の4番バッター、巨人の松井 秀喜が、FA権を取得して、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍する決断を下した。「裏切り者だと思われても……」と苦渋の表情を浮かべながら、松井はジャイアンツに別れを告げた。この瞬間、両手に”巨人”と”メジャー”という重りを持たされていた”ニッポン野球”というやじろべえの傾きは、誰の目にも明らかになった。ドメスティック(巨人)とグローバル(メジャー)の、相まみえることのなかった二つの軸は一つになり、残酷な序列は浮き彫りになった。メジャー>巨人
城は落ちた。
阪神の井川 慶、中日の川上 憲伸、福留 孝介、ソフトバンクの城島 健司、和田 毅(独占インタビュー 2011年5月29日公開)、日本ハムのダルビッシュ 有、楽天の岩隈 久志(独占インタビュー 2013年3月28日公開)といった、日本のMVPが相次いでメジャーへと旅立っていった。一昔前なら、「どうせ巨人に来たがるだろう」とたかをくくられていたであろう西武の松井 稼頭央(独占インタビュー 2013年3月9日公開)も松坂 大輔も中島 裕之(独占インタビュー 2013年3月25日公開)も、ヤクルトの岩村 明憲も青木 宣親も、広島の黒田 博樹(コラム 黒田博樹 世界を制する投球術 第一回)も、巨人ではなくメジャーを選んだ。
さらには桑田 真澄(独占インタビュー 2013年04月11日公開)、上原 浩治(独占インタビュー 2013年2月3日公開【前編】 2013年2月7日公開【後編】)、高橋 尚成といった巨人で開幕投手を務めた男たちまで、ジャイアンツに別れを告げ、メジャーのユニフォームに袖を通すようになった。そして今年、楽天の田中 将大(独占インタビュー 2013年3月2日公開)にヤンキースが7年総額1550万ドルという、とんでもないオファーを出すに至った。田中が巨人に来るかもしれないなどと妄想した野球好きは、皆無だったに違いない。