第9回 プロ野球は百年構想をどう描くのか?2014年02月04日
その一方、巨人は地域密着から逆行した。
松井が巨人か、メジャーかで揺れていた2002年、突如として巨人がビジター用のユニフォームの胸文字を、これまでの”TOKYO”から”YOMIURI”に変更すると発表した。その直後、東京ドームのライトスタンドには、ド派手な横断幕が掲げられた。
「よみうり巨人軍WHAT?」
「オレ達は読売ファンじゃない!巨人ファン!」
「GIANTSは広告媒体だけなのか」
「流れゆく時代に逆らうな」
しかし、巨人の球団代表は、「我々としては会社の名前が変われば(東京読売巨人軍から読売巨人軍に変更した)当たり前のこと。多少の気持ちのズレは仕方ないが、ああいう形で出るのは残念」と語り、球団社長は「企業名から東京を外したのだし、全国のファンのためという意識で変えた。ほとんどの球団は企業名だし、プロ野球は発足当時から企業主体だ」と説明した。
若い世代とかけ離れた感覚の、お年を召された経営陣が集まった会議室で、時代遅れの結論が出される。それが現実になればなるほど、ビジネスとしてのプロ野球は右肩下がりとなって、世間から見放されていく。
2002年、日韓ワールドカップが盛り上がっていた真っ最中、”ナベツネ”は「ワールドカップは6月だけで終わる。日本におけるサッカーはこれで滅びるはずだ。これだけ過剰投資をしたのだから、ワールドカップが終わった後にはサッカー不況が来る」と言っていたそうだ。
果たして、そうだったか。
思えば2006年の4月、広島で行われた広島対巨人の試合が地上波で全国中継されなかったとき、それはかなり大きなニュースとなった。”巨人戦”という地上波のキラーコンテンツの平均視聴率は20パーセントを超えるのが当たり前だったのに、松井がヤンキースへと去った2003年に15パーセントを切り、今やひとケタが当たり前となってしまった。
今シーズン、日本テレビによる巨人戦の全国ネットによる地上波中継は、ナイター6試合、デーゲーム2試合のわずか8試合。他にデーゲームの12試合を関東ローカルで放送するが、これはその時間帯、系列の地方局から「巨人戦ではなく地元球団の試合を放送したい」という要求が強かったからに他ならない。
では、プロ野球はこれからどこに向かって進んでいけばいいのか。
そこはこの一ヶ月、沖縄、宮崎のキャンプを巡りながら、いろんな人に話を訊き、美味いものをたらふく喰って、じっくり想いを巡らせてみようと考えている。そして次回のこの稿で、”100周年”までの20年に渡る近未来プロ野球の青写真を描いてみようじゃないか。
難しいテーマではあるが、すでにヒントは得ている。じつは今年の正月、久しぶりに”野球”で泣かされた。そう言われただけで、すでにピンと来ている人もいるかもしれない。この20年の道標となるプロ野球界の未来地図は、あの日の”野球”になぜ涙腺が壊す力があるのかを解き明かすところから描き始めなければならない。
というわけで、この続きは一ヶ月後に──。(あーあ、こんなにでっかい風呂敷広げちゃって、後編、大丈夫なのか?)。
(文・石田 雄太)