石田雄太の斜説

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第10回 日本中の野球人が描くプロ野球百年構想2014年03月12日

  ホントは、2年早いんじゃないかなぁ。
 今年はプロ野球80周年なのだという(えっ、そうだっけ)。

 確かにジャイアンツ(讀賣巨人軍)は今年、球団創立80周年を迎えた。ジャイアンツの前身である大日本東京野球倶楽部が正式に誕生したのは1934年だから、2014年の今年がちょうど球団創立80周年にあたる。
 しかしその1934年に、NPBの前身である日本職業野球連盟はまだ設立されていない。しかも当時は、大日本東京野球倶楽部以外にプロ野球のチームはなかったのだから、プロ野球があったと言えるかどうかは微妙だ。そもそも一チームだけが誕生したのはなぜだったのか。それは、大リーグの選抜チームと日米野球で対戦するために、国内にプロ野球の球団を作る必要があったからだ。

 昭和初期、日本でもっとも人気を集めていたのは東京六大学野球で、1931年、讀賣新聞社が日本に招いた大リーグ選抜チームと戦ったのは、主に東京六大学の選手たちだった。しかし野球人気の高まりが過ぎたせいで、学生野球は急速に商業化が進んでいた。そんな流れに危機感を覚えた文部省は、蜜に群がるオトナたちに歯止めを掛けるべく『野球ノ統制並施行ニ関スル件』を発令。
 そのせいで、学生はアメリカのプロ野球の選手と試合ができなくなった。そこで、困り果てた讀賣新聞社が発足させたのが、学生のいない(プロとして選手を集めた)大日本東京野球倶楽部だったというわけだ。
 つまりジャイアンツは、大リーグの選抜チームと試合をするためだけに作られた球団だったのである(ということは侍ジャパンの前身(笑)なのか)。

 1935年、大日本東京野球倶楽部は、”TOKYO GIANTS”という名前で4ヶ月にわたるアメリカ遠征に出向いた。そこで100試合を越える試合をこなし、7割近い勝率を残したと伝えられている。そして1936年、日本職業野球連盟が設立され、プロ野球(日本職業野球)の最初の公式戦、名古屋金鯱軍対東京巨人軍の一戦が、名古屋の鳴海球場で行われた。
 名古屋に住む野球好きの間では鳴海球場が今、シャコー(名古屋では自動車教習所のことを車校、シャコーという)になっていることは球史のイロハとしてよく知られている。そこには今も球場の形を活かした教習コースが作られており、嬉しいことに観客席まで残っている(ウソだと思うなら、Google Mapで『名鉄自動車学校』を検索し、航空写真を見て欲しい)。

 話が逸れたが、要は、今年はあくまで”巨人軍80周年”であり、”プロ野球80周年”は2年後の1936年ではないか、と個人的には思っている次第である。なぜ今年がプロ野球80周年なのかと問えば、おそらく『最初のプロ野球チームが発足したのが80年前だから』という、至ってシンプルな答えが返ってくるのだろうが、本当のところは、1984年に”プロ野球50周年”と銘打ったイベントをいくつも開催してしまったからではないかと邪推している。

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