第5回 スジーワ・ウィジャヤナーヤカさんインタビュー後編 【スリランカ野球の今】2013年11月10日

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撮影・阿部謙一郎  

【目次】
[1]野球とつながっていたい
[2]審判員としての誇り
[3]この球場は、南アジアのために

前編に続く今回のスジーワ・ウィジャヤナーヤカさんのインタビューは、日本で審判員として活動する思いや、今後の南アジアの野球発展への思いを伺いました!

スジーワ・ウィジャヤナーヤカさん インタビュー前編  【スリランカ野球の今】

野球とつながっていたい




 野球とつながっていたい。その思いひとつで、異国の地で野球の審判員になるという道を選んだスジーワさん。審判員として野球と係ることで、スリランカのみならず、南アジアの野球の発展に貢献したい。その彼の真摯な思いは、スリランカと日本、国を巻き込んでのプロジェクトに発展した。

――審判員になったのは、後田剛史郎さんからの言葉があったそうですね。

スジーワ・ウィジャヤナーヤカさん(以下「スジーワ」)    2006年にちょうど日本に来て、大学に入学して野球部に入ったのです。私達がやってきた野球とは違いますし、日本語はなかなか難しい。出来るのは、挨拶するぐらいでした。それから1年間アルバイトをして、日本語を勉強して、そのタイミングで、後田さんから『合同審判講習会というものがあるので、参加してみないか?』と声を掛けていただいて。チャンスだと思いました。
 それも一つの出会いですよね。そこで後田さんが僕に、お知らせしてくれなかったら分からなかったでしょうし、その時の私はお金がなかったので、後田さんにサポートしていただいて、審判員の勉強をすることが出来ました。
 後田さんは、2004年にスリランカに来たのですが、野球発展のコーディーネーターとして私を選んでくれて、2人で一緒にスリランカの野球発展のために回りました。後田さんは、私にとって恩人であり、友人であったり、兄弟であったり、先生みたいな方でした。もちろん、これからもずっとつながっていく家族のような方だと思っています。

――当時の目標は何だったのでしょうか?

スジーワ とにかく、野球とのつながりが欲しかったんです。選手としては駄目だと思っていたけど、野球は好きですし、野球と一緒になって、世界の力になりたいと思っていた。それに、なにか国に返さないといけないとも思っていました。日本人には『義理人情』という言葉がありますが、それを日本人の皆さんは、すごく大事にしていると思います。実は、スリランカにも、そういう言葉はあるんですよね。だから、スリランカは、日本からいろいろなものをいただいているので、日本にきて野球を通じて、もっとスリランカと日本がつながってほしい、という強い気持ちがありました。
 それで、選手でなくても、野球とつながるための方法として、審判としてつながることが出来ました。当時の審判員としての目標は、良い審判になるんだということ。
 それでも、最初は右、左も分からない状態でした。審判員の中には、日本のプロ野球の審判や、アマチュア野球の審判長など、いろいろな審判員がいるわけです。その中に、初めて外国人の私が入りましたので、当初はみんなに迷惑だなと思いました。それでも、審判講習会では、私に基本からすべてわかりやすく教えてくれたのが、日本人の皆さんでした。

 大学もそうでしたが、日本人は相手の立場になって教えてくれるし、2回教えても駄目だったら、3回目を教えようとする。それでも駄目だったら4回、5回と教えてくれる。そんなに教えるのは日本だけだと思うんですよ。普通、それだけ教えても駄目ならば、馬鹿野郎という話になりますが(笑)、日本は4回、5回教えても駄目だったら、自分の教え方が悪いとなる。
 そういう考えになるのは、日本だけですよ。生徒ではなく、先生が変わらないといけないって。実際、私はそれがあったおかげで、今がある。何も分からない状態で、先生たちの素晴らしい指導のおかげで、今では日本語も話せますし、審判もできているからです。

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プロフィール

安田未由
編集長 安田 未由(Myu Yasuda)

コメント (1)
感謝2015.01.19 黒田
大分で少年野球の大会を創ってます・・・
ぜひスジーワ・ウィジャヤナーヤカさんに
決勝戦
審判してもらいたい
そして
スリランカのチームもさんかしてもらいたい

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