第4回 野村 謙二郎氏が語る「世界野球の奥深さ」(前編) 日本と世界のスタイルの違い2016年02月03日

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【目次】
[1] 日米大学野球・ソウル五輪で受けた世界野球の印象
[2] MLBへの想いと海外自主トレで学んだこと
[3] 日本と世界の「スタイル」差を理解し、活かす

 昨年、第1回を終えた「世界野球2015WBSCプレミア12」を終え、今年は3月5日・6日にナゴヤドームでのチャイニーズ・タイペイとの強化試合。そして2017年の「第4回WBC」での世界一奪回へ向かう侍ジャパントップチーム。毎年のように様々なスタイルの野球や選手たちと戦っている彼らの姿を見ると、改めて世界野球の「奥深さ」を感じずにはいられない。

 では、その奥深さの理由や真髄とは?今回は現役時代、佐伯鶴城高(大分)・1988年のソウル五輪で銀メダルを獲得した駒澤大を経て1988年のドラフト1位で入団した広島東洋カープでの17年間で通算2020安打、1995年には打率.315・32本塁打・30盗塁のいわゆる「トリプルスリー」を達成。さらに昨年までは5年間、広島東洋カープの監督を務め、現在は野球解説者をはじめ多方面で活躍する野村 謙二郎氏が、自身とアメリカをはじめとする世界野球とのかかわりや、昨年7月に野球教室で訪れたスリランカでの体験を熱く語る。

 前編はアマチュア時代から広島東洋カープ監督時代までのお話。文化の違いを理解した選手への接し方など、今だから話せる秘話も披露して頂きました。

日米大学野球・ソウル五輪で受けた世界野球の印象

――野村さんが最初に「世界の野球」に出会われたのは駒澤大学時代だと思います。

野村 謙二郎氏(以下、野村) そうです。日米大学野球が最初です。3年の時でした。

――そのときに受けた衝撃はありましたか?

野村 はじめて海外のチームと対戦した際に、僕らとは全く身体の大きさが違ったのが第一印象ですね。アメリカ人選手の身体の大きさ、投手の投げるストレートの速さ、打者の遠くに飛ばす力。衝撃というよりもそこが印象に残りました。

――翌年(1988年)には2年連続で日米大学野球メンバーとして、さらに銀メダルを獲得したソウル五輪でさらに世界の野球に触れることになります。

野村 この時は最初の衝撃を越えて、勝ったり負けたりを繰り返しながら「全く通用しないことはない」という風に考え方が変わっていきました。
ソウル五輪の話で言えば、いざ試合が始まれば印象うんぬんよりも「どうやって試合に勝つか」しか考えなかったです。

――このアマチュア時代に世界の野球に触れたことが、広島東洋カープでのプロ野球選手生活に活きた部分はありましたか?

野村 野球を学ぶことや奥深さというものは、野球を職業にした場合はまた違ってきます。プロ野球の世界に入ると「プロ」という意識が高まってきますから、アマチュア時代のことだけが役に立ったことはありません。
ただ、プロを経験したことでアマチュア時代の経験が「+アルファ」になったとは思っています。僕はそんなに身体が大きな方ではない(176センチ78キロ)ですから、最初に日米野球で出会った体格のいいアメリカ人選手、プロに入って僕より体格のよい選手がたくさんいた中で、自分の技術が通用したことを良い自信にできたと思います。

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プロフィール

寺下友徳
寺下 友徳
  • 生年月日:1971年12月17日
  • 出身地:福井県生まれの東京都東村山市育ち
  • ■ 経歴
    國學院大學久我山高→亜細亜大。
    幼稚園、小学校では身長順で並ぶと常に一番後ろ。ただし、自他共に認める運動音痴から小学校入学時、早々に競技生活を断念。その後は大好きなスポーツに側面から関わることを志し、大学では応援指導部で4年間研鑽を積む。亜細亜大卒業後はファーストフード販売業に始まり、ビルメンテナンス営業からフリーターへと波乱万丈の人生を送っていたが、04年10月にサッカーを通じて知り合った編集者からのアドバイスをきっかけに晴れてフリーライター業に転進。07年2月からは埼玉県所沢市から愛媛県松山市へと居を移し、現在は四国地域を中心としたスポーツを追いかける日々を過ごす。
  • ■ 小学校2年時に福岡からやってきた西武ライオンズが野球と出会うきっかけ。小・中学校時代では暇さえあれば足を運んでいた西武球場で、高校では夏の西東京予選の応援で、そして大学では部活のフィールドだった神宮球場で様々な野球を体感。その経験が取材や原稿作成の際に「原体験」となって活きていることを今になってつくづく感じている。
  • ■ 執筆実績
    web上では『ベースボールドットコム』(高校野球ドットコム、社会人野球ドットコム、独立リーグドットコム)、書籍では『ホームラン』、『野球太郎』(いずれも廣済堂出版)、『週刊ベースボール』(ベースボール・マガジン社)など。『甲子園だけが高校野球ではない2』(監修・岩崎夏海、廣済堂出版)でも6話分の取材・文を担当した。

    さらに野球以外でもサッカーでは、デイリースポーツ四国3県(香川・高知・愛媛)版・毎週木曜不定期連載中の『スポーツライター寺下友徳・愛媛一丸奮闘記』をはじめ、「週刊サッカーダイジェスト」(日本スポーツ企画社)、『サッカー批評』、web『スポーツナビ』など多数媒体での執筆実績あり。また、愛媛県を熱くするスポーツ雑誌『EPS(ehime photo sports)』でも取材協力を行っている。
  • ■ ブログ:『寺下友徳の「四国の国からこんにちは」』■twitterアカウント@t_terashita
    ■facebook: http://www.facebook.com/tomonori.terashita

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