西郷 泰之

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第1回 「諦めない野球人生」 西郷 泰之選手(Honda)2015年07月03日

これまでの西郷 泰之選手インタビューは以下から
Honda 西郷泰之選手(前編・2012年03月23日公開)
Honda 西郷泰之選手(後編・2012年03月30日公開)

【目次】
[1]史上最多タイの14本塁打を記録した都市対抗
[2]ポイントは「横一直線」
[3]“ミスター社会人”の称号

 野球界で実績を積み上げてきた人物が心の内に抱えている「後悔」をスポーツライター中島 大輔氏が聞き出す。
その後悔こそが、その選手を強くしたと考えている中島氏が、これまで語られてこなかった、選手の本音。そして、これまでずっと背負ってきた思いをベースボールドットコムにて、連載でお届けしていきます。

史上最多タイの14本塁打を記録した都市対抗

西郷 泰之選手(Honda)

 43歳を迎える今季、Hondaの西郷 泰之は満身創痍の戦いを続けている。春のキャンプで右足の肉離れを起こしたことが発端となり、両足ともに万全の状態ではない。
それでも、毎年夏にやってくる“本番”に向けてバットスイング、ケガを再発させないように70%のランニング、そしてコンディショニングで状態を上げようとしている。

 その原動力となっているのが、「ホームランを打ちたい」という渇望だ。

 社会人ナンバーワンを決める都市対抗野球で、史上最多タイの14本塁打を記録。長きに渡ってグラウンドに立ち続け、周囲から尊敬の眼差しとともに「ミスター社会人野球」と言われている。

 だが逆説的に見れば、この称号は明確な事実を表してもいる。西郷にとって、最高峰の舞台に進む道はなかったということである。「今思えば、プロを諦めないでやるべきでした。当時はまったくそんなことは思えなかったですね。ダメな人間でした(苦笑)。もったいなかったですね」

 西郷がそう振り返るのは、20代前半から中盤にかけての頃だ。
日本学園高校を卒業して三菱自動車川崎に入社すると、社会人6年目の1995年、初の日本代表入りを果たした。現在の西郷にはスラッガーのイメージが強いものの、当時は、三遊間に流してのヒットは「楽に打てる」という巧打者タイプだった。事実、96年アトランタ五輪では2番打者として銀メダル獲得に貢献している。得意のバットコントロールに磨きをかけ、アマチュア球界でトップ打者の道を着実に駆け上がった。

 だが秋が来るたび、ドラフト会議で指名されることはなかった。年齢が20代前半から中盤に差し掛かり、「もう指名されないな」という気持ちは諦観の境地に至っていく。20代後半を迎えると、どうやって野球人生を終えようかとばかり考えていた。

 そんな折、大須賀 康浩監督(現・福井工大福井高校野球部監督)に説得されて現役を2、3年続けているうち、人生を変えるアクシデントに襲われる。99年に参加した日本代表の合宿で、稼働中だったピッチングマシーンに気づかず、ボールが頭部に直撃したのだ。

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