第6回 アメリカ独立リーグの現実:苦境に立たされる弱小リーグ(上)2014年02月06日

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【目次】
[1]アリゾナの落日
[2]苦境脱出の打開策:交流戦による広域化
[3]離合集散を繰り返す独立リーグ

離合集散を繰り返す独立リーグ

 ヤングの独立リーグに対する思いは熱い。2010年シーズン途中にマウイ・イカイカ球団を買収したこの弁護士は、日本人女性ナックルボーラー・吉田えりの獲得やBCリーグとの提携による国際交流戦などの新機軸を次々と打ち出し、アメリカ独立球界に新風を巻き起こした。
 しかし、その熱意とは裏腹に、テレビでメジャーリーグのゲームが簡単に観ることができ、娯楽も多様化した現在、3Aチーム、ハワイアイランダーズの1987年シーズン限りの撤退、2008年シーズン終了後のウィンターリーグの休止に象徴されるようにハワイでの野球興行は独立リーグという形をとってもなかなか成功に結び付けることは難しいようだ。

 マウイ球団の所属するリーグ自体も、球団創設以来頻繁に変わっている。球団発足時の2010年には、西部を中心に北はカナダから南はメキシコに至る広域リーグであったゴールデン・ベースボール・リーグに加盟したが、この年かぎりでこのリーグは解散、2011年シーズンは、同じく観客動員に悩むテキサスを中心に展開されていたユナイテッド・リーグと老舗ノーザン・リーグの加盟チームの一部と合併して新設されたノースアメリカン・リーグ結成し、リーグ戦を行った。
 しかし、ゴールデン・リーグの西部、ユナイテッド・リーグの南部と言えば、独立リーグ勃興期である1990年代後半にそれぞれウェスタン、テキサス・ルイジアナ(後にセントラル・リーグと改名)という先発リーグが失敗し、消滅した、いわば独立リーグにとっての鬼門でもある。これを受け継いだ両リーグは、いわば街でよく見かける、廃業したラーメン屋のあとにテナントとして入ってきた同業者とでもいう存在であり、こういう店が往々にして前のテナントと同じ運命をたどるのと同様、風向きが変わるか、なにか大きなヒット商品でも出現しない限り成功の見込みは薄かったと言える。すでに、パシフィック・コースト・リーグという競技レベル的にもエンタテインメント的にも成熟したメジャー傘下の3A級リーグが展開され、身近な娯楽としても1Aのカリフォルニア・リーグがすでに各町にある西海岸、そして、両者の中間にあたる2Aのテキサス・リーグが存在する南部においては、マイナーリーグというスペクテイター・スポーツ産業におけるニッチ(隙間)は存在していないように映る。

 ゴールデン、ユナイテッド両リーグの合併には、独立リーグ最古参でかつては最強リーグの名をほしいままにしたノーザン・リーグも参加した。しかしこのリーグも、現在の独立リーグブームの仕掛け人とも言える、創設者のマイケル・ウォルフ氏が去り、新たにアメリカン・アソシエーションを立ち上げると、有力加盟チームが次々と新リーグへ移籍し、最終的にはどこにも行き先がなくなった1チームのみが、ノースアメリカン・リーグに加わったのが現実である。

 つまり、ノースアメリカン・リーグは、ゴールデン、ユナテッドという「負け組」リーグの生き残り組と名門ノーザンの「落ちこぼれ」が、起死回生を図って結成した、溺れる者がすがった「藁」のようなものであったのだ。
 実際、初年度シーズンは途中で打ち切りに追い込まれ、2年目は、シーズン途中に西海岸の北地区とテキサスの南地区が分裂、それぞれ別個に優勝チームを決めるという事態になった。結局のところ、このリーグも、まともに開幕からチャンピオンシップまで終えることは1度もなく、2シーズンでその歴史に幕を下ろした。

 2013年シーズンは、旧北地区がハワイの2球団とベイエリア(サンフランシスコ周辺)の2球団で新たにパシフィック・アソシエーションを設立、旧南地区は再びユナイテッド・リーグとしてリーグ戦を行うことになった。
 パシフィック・アソシエーションは、前述の通りフリーダム・リーグと日本のBCリーグとの交流戦を行ない、これにベイエリアのクラブチームとの対戦を加え、これらすべてを公式戦とする、ある意味画期的なフォーマットでシーズンに臨んだ。しかし、この新リーグの運営も順風満帆とはほど遠いもので、アリゾナへの遠征中止、一部球団の財政難による試合キャンセル、シーズン途中からの新チーム加入など、プロリーグの体をなしているのかさえ怪しい状況であった。このあたり、関西の独立リーグファンには、身につまされるものがあるのではなかろうか。

 結局、当初予定の試合数をこなしたのはリーグの中心的存在であるサンラファエルとマウイだけで、各チーム試合数がバラバラという中、レギュラーシーズンを終えた。そして、シーズン終了を当初予定より前倒しし、最終週をチャンピオンシップ・ウィークと銘打ち、勝率によるレギュラーシーズン順位を確定、最終日である8月25日に、変則ダブルヘッダーによるチャンピオンシップという形で混迷した初年度シーズンを終えた。パシフィック・アソシエーションの初代チャンピオンは、レギュラーシーズン2位のマウイが「逆転」でもぎ取った。たった1試合のプレーオフで、54勝21敗と他チームを圧倒したサンラファエルのレギュラーシーズンは吹き飛んでしまったのだ。

 また、これに先立つ数日前、順位が決定し、消化試合と化したサンラファエルでの試合には、前年同様、66歳になるメジャー119勝の左腕投手、ビル・リー(元レッドソックスなど)を呼び寄せた。初日は投手を含むすべてのポジションを守らせ、翌日には指名打者として出場させて、前年の「プロ野球最高齢勝利投手」の記録に続き、「プロ野球最高齢登板・出場」の記録を打ち立てさせることで、客寄せを図った。私は彼のプレーを実際には見なかったが、この場にいた選手の話では、彼の動きはプロアスリートのそれとはとても言えるものではなく、草野球の「オジサン」の姿そのものだったという。それでも、リーは2日目の試合で2安打を放ち、「プロ野球最高齢安打」の世界記録も打ち立てた。

サンラファエル、アルバートパーク球場。プロ野球開催時以外は2面取りの野球場になっているため、センターバックスクリーンの後ろには簡易スタンドがある。

 このリーグのロースターには3Aクラスでのプレー経験のある者も名を連ねているのだが、70歳近い老人がマウンドに立ち、打席に立てば安打を放つところにこのリーグのプレーレベルはあらわれている。
 ちなみに、サンフランシスコ郊外のこの町の公園の球場には、ネット裏に小さなスタンドがあるのみ。普段は2面使用の草野球場として利用されているらしく、センター後方にも小さな桟敷席があり、その前は土のグラウンドになっている。アメリカには珍しく内野に芝を敷いていないこの球場は、日本の草野球場同様フィールドの対角線の両端が砂地の内野フィールドになっているのだ。

 こういう状況の中、何も知らされていなければ、目の前でプレーされているのがプロ野球とは誰にも思えないだろう。決勝が終わり、ベンチ前でマウイナインが繰り広げていたシャンパンファイトも、なにかさびしげに映った。
 それでもこの日のスタンドはほぼ満席。この球場がリーグで一番人気らしい。しかし、小さなスタンドしかないこの球場で、これもカウントすれば1000人にも満たないだろう。このリーグの風景は、観客動員に苦しんでいる近年の日本の独立リーグに重なるものがあった。

 日本の独立リーグの持続的存続のため、アメリカのマイナー、独立リーグのビジネス手法を参考にせよという声は頻繁に聞く。しかし、文化的なバックボーンや、国土の状況が違うアメリカの、それもアジアやラテンアメリカのトップリーグに匹敵するような集客力を誇るリーグの運営を現在の日本の独立リーグに真似せよというのは、暴論ではなかろうか。むしろこういう「負け組」リーグの諸相から学ぶことは多いのではないかと私は思う。

(下に続く)

(文・石原豊一)

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