第12回 福島ホープス(前編) 福島から「元気」を発信するために2015年07月10日

【目次】
[1]「福島から元気を発信する」使命感
[2]設立に動く中、つながった2つの「縁」
[3]岩村 明憲選手兼任監督の「東北・福島への想い」
独立リーグ~東北地方の人間にとっては、率直に言って馴染みがないフレーズだ。NPBの楽天の正式名称は「東北楽天ゴールデンイーグルス」。東北のプロ野球団と考え、本拠地のある宮城県のみならず、東北各地で公式戦やイベント、野球教室を行い、ファンを拡大している。東北において「野球」というスポーツはプロ野球(NPB)の楽天か、学生や社会人のアマチュア野球が主流である。
そのような中、今年、ルートインBCリーグの新球団として福島県に誕生した「福島ホープス」。前編ではその設立経緯と、「2011年3月11日」によって生じた使命と絆について触れていく。
「福島から元気を発信する」使命感

扇谷 富幸社長(福島ホープス)
「私、野球、ド素人なんですよ」
福島県郡山市を拠点に中古車販売・メンテナンスを行う「株式会社扇」の社長を務め、沖縄県内でホテル等も経営する中、福島ホープス運営会社「株式会社福島県民球団 福島HOPES」の代表取締役・扇谷 富幸氏の第一声である。
ただ、それは一種の謙遜である。扇谷社長は富山県出身。月に一度は仕事の関係などで故郷に戻っていたこともあり、独立リーグの存在は認識していた。さらに当時、富山GRNサンダーバーズ代表の味方 健二郎氏(現:同球団取締役・株式会社ジャパン・ベースボールマーケティング営業統括部長)とも面識を持っていた。
そんな2013年のある日、味方氏からこんなことを明かされた。
「今度、ルートインBCリーグで埼玉県に新球団ができる(武蔵ヒートベアーズ)んです。でも、球団数は偶数にしたいんです」と。
そこには8年前、ルートインBCリーグの村山 哲二代表が福島県にも球団設立を呼びかけていたが、実現しなかった経緯がある。そして「あの出来事」から生じた想いが、扇谷氏の心を動かすきっかけとなった。
2011年3月11日、東日本大震災が発生。福島県の沿岸部にある大熊町と双葉町に立地する東京電力の福島第一原発では地震と津波により、国際原子力事象評価尺度で最悪のレベル7に分類される事故が起こった。
あの日の14時45分まで、平穏にあった暮らし。あの時、1分後にマグニチュード9.0の地震が起こり、その後、広範囲にわたって巨大な津波が街を襲うとは誰が想像しただろうか。まして、安全といわれてきた原発がメルトダウンや爆発を起こすとは……。
人々の生活は一変した。見る影もない津波に襲われた街で家族、親戚、友人を探す人。地震、津波で家を失った人、職を失った人。原発事故により、故郷を失った人。震災直後、避難所をいくつか回った。学校の体育館では、床に薄い毛布を敷き、段ボールで区切られたわずかなスペースで家族が身を寄せ合っていた。教室だって、場所によっては2、3家族が一緒になっていた。
避難所では、市町村の職員やボランティアスタッフ、自衛隊が人々の暮らしを支えていた。長引く避難生活。親類や知人を頼った人もいただろう。縁もゆかりもなかった土地に移り住んだ人もいるだろう。被災した人々、支える人々、皆、生活は一変した。
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