第12回 福島ホープス(前編) 福島から「元気」を発信するために2015年07月10日
【目次】
[1]「福島から元気を発信する」使命感
[2]設立に動く中、つながった2つの「縁」
[3]岩村 明憲選手兼任監督の「東北・福島への想い」
4年が過ぎた。未だに行方が分からない人もいる。仮設住宅での生活を余儀なくされている人もいる。避難生活を続けている人もいる。風評被害に悩む人もいる。復興住宅に入れた人もいれば、家を再建した人もいる。宮城県や岩手県の沿岸部では街が整備されてきている。昨年4月には岩手県の三陸鉄道が、今年5月には宮城県のJR仙石線が全線開通し、人々の足も復活しつつある。
福島県では、今年の3月1日、震災と原発事故の影響で遅れていた常磐自動車道の常磐富岡インターチェンジと浪江インターチェンジの間14.3キロが開通。総延長300キロの常磐道が全線開通となった。誰もが満足いく復興は難しいかもしれないが、それでも時は進み、誰かが便利になっている。
こうして人々が手を取り合い、復興に歩みを進める中、福島県にルートインBCリーグ新球団設立の話が再燃した。扇谷社長が振り返る。
「野球は挨拶やマナーを重視しますよね。子どもの育成にいいのかなと思いました。また、福島に球団ができることで、多くの人が福島に来てくれれば。選手にとっては、福島で野球ができて、NPBを目指せますしね」
そして、こうも語る。
「現に避難している人、苦しんでいる人もいます。しかし、私たちはここ、福島で生きていて、他と何も変わらない生活をしているんですよ。その元気も発信できれば」
福島県から元気を発信する「使命」。扇谷氏の心は「球団創設」へと固まった。
設立に動く中、つながった2つの「縁」

小野 剛GM(福島ホープス)
ただ、継続的に球団経営ができなくては使命を続けることはできない。経営者としても大きな成功を収めている扇谷代表は早速、他チームの経営を調べた。結果「黒字に持っていける確信をした」という。「球場使用料やクリーニング代、ゴミの処理など、地元企業とタイアップすることで経費は削減できます。地元企業からサポートいただける感触もありました」
実は福島県は特殊な地域でもある。猪苗代湖ズの「I love you & I need you ふくしま」の歌詞に出てくるように、福島県内はいわき市などがある「浜通り」、福島市・郡山市がある「中通り」、そして会津藩で有名な会津若松市などがある「会津」に分かれているからだ。
会津と中通りの間には奥羽山脈が、中通りと浜通りの間には阿武隈高地があり、気候も文化も異なる。現在の福島県に至るまでの歴史的背景もあり、1つの県でありながら、それぞれの地域が独立している感じもある。
その特殊性を十分知った上で「県が1つになるためにスポーツが一番」と扇谷社長。よってスポンサーは県内全域から均等に集めている。また、「3000万円出しますよ、と言ってくださるスポンサーさんは断っているんです」とも言う。それはなぜか?
「1回に3000万円ではなく、長く出してください、と。100万円なら、10万円を10回という感じですね。子どもの夢と地域を育てることに協賛してもらえれば」
大切なのは、続けていくこと。スポンサーが長くつくこと。この辺りにも扇谷社長の経営手腕を感じることができる。
こうして球団設立に向けて動いていく中で、扇谷代表は人を介して会津地域で頭角を現していた「ある人物」と出会う。
小野 剛。武蔵大でリーグ通算37勝を挙げ、2001年ドラフト7位で巨人に入団。しかし、1軍での登板はないまま、2年で解雇された。03年にはイタリアでプレーし、NPBのトライアウトを受けて04年から3年間は西武ライオンズに在籍し、2004年・26歳にして一軍初登板を果たした苦労人である。
引退後は企業に勤めながら大学院で金融を勉強。そして、08年に福島県会津若松市にある芦ノ牧グランドホテルを買収し、会長に就任するなど経営者として手腕を振るっていた小野氏に、扇谷代表は情熱を持って話をする。
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