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第27回 端保 聡社長(石川ミリオンスターズ)2014年04月18日
【目次】
[1]選手のコンディショニングが第一
[2]NPBと全く違うことを
[3]木田氏の加入で、メディア戦略に変化 / 今年の目標は「夢みまっし」
NPBと全く違うことを

グランドチャンピオンシップ2013で日本一となった石川ミリオンスターズ
――球団を運営していく中でも、経営に対する考え方の変化はありましたか?
端保 5年目にチームが日本一になって。日本一になることってなんでもすごいじゃないですか。ということで、日本一で突っ走ったんですよね、2011年は。胴上げまでしてもらって。じゃあ、その後、どうなるのか。甲子園の時は、たとえ1回戦で負けようが、父母会とかがみんな出迎えているわけですよ。でもうちのチームが戻っても、誰もいないんですよね。
じゃあ、この日本一って本当に価値あるの?っていうことをすごく思ったんですよ。そんな中から次の年に向けて私が何をしたかというと、独立リーグで今までやったことがないことです。
アメリカの独立リーグのチームと日米交流戦をやろうと思ったわけですよ。それをやるのに、チケット収入は別にして、スポンサー収入は、なかなか黒字にならないんですよ。ということはマーケットを石川県だけじゃなくて、もうちょっと広げよう、と。
――提案された会社の反応はいかがでしたか?
端保 みんな、久しぶりにさわやかな話だね、楽しそうな話だねって言ってくれるんだけど、BCリーグのこと、誰も知らないんです。
そもそも考えて、5年もやってて、知られていない。石川では、ミリオンが動けば、メディアが動く、ということでやってくれるので、ありがたいんだけど、そこにもう一つ大事なのはなんなのかと考えた時に、中央から発信させることが大事でした。
結果的に2012年は、ハワイと交流戦をして、ハワイ単独の事業で言えば、なんとかプラス黒字になりました。やってよかったですね。そういうイベント的なゲームの積み重ねも大事なんだなっていうのをあらためて認識したのと同時に、間違いなく中央から発信していかないと価値が上がっていかないんだなということに気づいたんです。

- 端保 聡(たんぼ・さとし)
- 生年月日:1966年10月4日
- 出身地:石川県金沢市生まれ
- 経歴:稲置学園星稜中学、星稜高校、金沢経済大学(現星稜大学)出身(いずれも野球部に所属)
- 大学卒業後は、1989年東急観光株式会社入社し、95年金沢紙業株式会社へ入社。その後、06年に、石川ミリオンスターズ代表取締役に就く。現在は、金沢紙業 株式会社 専務取締役、株式会社 石川ミリオンスターズ 代表取締役、また全国RDVシステム協議会代表幹事も務めている。