第34回 寺田 哲也投手(香川オリーブガイナーズ) Vol.12014年12月06日

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【目次】
[1]人生を変えた中学時代の恩師
[2]「サイドスロー」登板きっかけに作新学院高の門叩く
[3]「ストレート」で切り開いた高校時代と好敵手

 今季、独立リーグ出身者として最高の評価「東京ヤクルト4位指名」でNPBの世界へ進む四国アイランドリーグplus・香川オリーブガイナーズ所属の寺田 哲也投手。新潟アルビレックス・ベースボール・クラブでベースボール・チャレンジリーグ(現:ルートインBCリーグ)No.1投手の座を射止めながら、NPB入りは叶わず。一年にすべてを賭けた四国行きが実った形である。

 では27歳の寺田はどのようにして、ここまでの野球人生を歩んできたのか?
決して順風満帆でなかったアマチュア時代。独立リーグを渡り歩いて学んだこと。その中でこだわり続けたもの。このロングインタビューを通じ、これまでが歩んだことのない道を歩んだミスター独立リーガーが語る、熱い心の内と強い決意を全4回連載で伝えていきます! Vol.1では寺田投手が野球を始めたきっかけと名門・作新学院で歩んだ3年間を振り返っていきます。

  苦難多きの大学時代と、野球選手として自信を掴んだアルビレックス新潟時代のエピソードを織り込んだVol.2は12/8(月)公開予定です!

人生を変えた中学時代の恩師

インタビュー中の寺田 哲也投手(香川オリーブガイナーズ)

――栃木県宇都宮市河内町出身の寺田投手ですが、まず野球をはじめたきっかけから教えてください。

寺田 田原小3年生のときです。僕は一人っ子なんですけど、近所の友だちや先輩たちと野球をして楽しかったので、田原サンライズで野球を始めました。気がついたら投手になっていましたけど、チームは県大会で2つくらい勝てばいいレベル。野球を楽しくできればいい感じでした。

――中学校は地元の田原中学校へ。ここでも投手ですか?

寺田 2年生までは内野手と外野手でした。最上級生になってからは外野手で。投手はホントたまにやるくらいでした。他にストライクを取れていい投手もいたので、僕はライトを守っていたんです。打順は3番でした。

――もちろん「投手をしたい」気持ちはあったと思いますが?

寺田 もちろんありましたが、僕が投手をしていたら全国大会に絶対に行けてなかったですから。出場した第19回の全日本少年軟式野球大会では、1回戦に岡山クラブに勝って、2回戦で五一中(青森)に負けたんですけど、会場の横浜スタジアムはよかったです。

――それでも全国に行けた要因はどこにあるのですか?

寺田 チームに結束力がありました。そして、2年生になって丸岡 秀樹監督(現:宇都宮市立雀宮中野球部監督)と出会えたことが、僕にとって野球人生の分岐点になりました。今でも出会えてよかったと思っています。

――丸岡先生からは具体的にどんなことを学んだのですか?

寺田 一番印象的だったのは、ピッチングマシンの高さを足で蹴って変えたら、本気で怒られたんです。「機械だって痛いんだぞ!お前も蹴られたら痛いんだろ?」って。もちろん野球のことも学びましたけど、人としてどうあるべきかなど、いろいろなことを教えて頂きました。「日本一になったらはじめて自慢しろ」とか。
ですから、先生に出会えていなかったら、作新学院高で野球もしていなかったですし、今も野球を続けていたかどうか。僕はそう思っています。

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プロフィール

ザック・コルビー
寺田 哲也(てらだ・てつや 投手)
  • 生年月日:1987年4月2日(27歳)
  • 栃木県河内町(現:宇都宮市河内町)生まれ
  • 183センチ90キロ
  • 右投右打
  • 田原小学校3年時に近所の友人に誘われ、田原サンライズ(現:NTサンライズ)でプレーを始める。田原中では投手から外野手が主ポジションになり、3年時には「第19回全日本少年軟式野球大会」に出場。横浜スタジアムの土を踏み、岡山クラブ(岡山県)を破って1勝をマークした。なお、なでしこジャパン2011年ドイツ女子W杯優勝メンバーの鮫島彩(ベガルタ仙台レディース)は中学時代の同級生。

    高校は地元の作新学院へ。2年秋に背番号「11」でセンバツを経験も出場はなし。3年春にはエース格として関東大会優勝を果たすも、最後の夏は準々決勝で涙を呑む。当時のストレートの最速は137キロ。

    作新学院大では高校時代からのチームメイト・笹沼 明宏(全足利クラブ~福岡ソフトバンク育成<2012~2014>とバッテリーを組み、4年間での関甲新学生野球1部リーグ通算成績は6勝5敗。
    大学卒業後の2010年にベースボール・チャレンジリーグ・新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに入団。1年目から6勝と頭角を現し、3年目の2012年にはレギュラーシーズン24試合登板で166回を投げ、145奪三振14勝4敗・防御率2.60。最多勝・最多奪三振に加え、ベストナイン・後期・年間最優秀選手(いずれも投手部門)と最優秀防御率を除き個人タイトル総なめ。新潟の上信地区前後期優勝・プレーオプ優勝、リーグチャンピオンシップ優勝。そして香川オリーブガイナーズを3連勝で下しての初の独立リーグ日本一へ大車輪の活躍を見せた。

    翌年もレギュラーシーズン19試合登板で133回を投げ、107奪三振15勝2敗・防御率1.35。前年に続き、最多勝・年間最優秀選手・後期最優秀選手・ベストナイン(いずれも投手部門)を受賞。加えて最優秀防御率・前期最優秀選手(投手部門)も獲得したが、チームは上信地区前後期優勝・プレーオプ優勝も、チャンピオンシップで石川ミリオンスターズの前に敗退。自らのNPB入りも果たせず、四国アイランドリーグplus・香川オリーブガイナーズへの移籍を決意する。BCリーグ4年間のレギュラーシーズン通算成績は97試合登板・41勝21敗・561回3分の1を投げ、被安打487 奪三振433 与四死球169 自責点161 防御率2.58。

    香川では開幕投手を務めるなど当初はローテーションの柱として活躍したが、前期終盤からは中継ぎ・抑えなども兼務。フォークをマスターしたことで投球の幅も広がり、球速も149キロまで伸ばした。香川では自己最多の43試合登板・6勝4敗6セーブ・148回3分の1を投げ、被安打125 奪三振145 与四死球47 自責点48 防御率2.91の成績を残し、最多奪三振のタイトルを獲得。東京ヤクルトからドラフト4巡目指名を受け、年間グラゼニ賞も受賞した。

    リリースポイントを最後まで見せない独自のフォームから最速149キロのストレート、スライダー、フォークなどを操るナイスガイ。今年11月4日には大学時代から7年間交際していた1歳下の祥子さんと入籍。公私ともに気持ちを込めてNPBの舞台へ羽ばたく。

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