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第35回 寺田 哲也投手(香川オリーブガイナーズ) Vol.22014年12月08日
【目次】
[1]腐っていた大学生活の先にあった「光明」
[2]監督、コーチの粋な計らいで才能開花へ
[3]新潟で「プロ」へのスタートラインに
寺田選手インタビューバックナンバー
第1回 野球を始めたルーツと高校時代について
新潟で「プロ」へのスタートラインに

寺田 哲也投手 新潟アルビレックス時代の写真(香川オリーブガイナーズ)
――大学野球を終えた時点で、次の選択を迫られることになった寺田投手ですが。
寺田 社会人野球も考えましたし、一時期はNPBへの入団テスト受験も考えました。ただ、入団テストを受験するとなるとリーグ途中で大学野球部を離脱しないといけない。「それはダメだ」と思ったので辞めました。そんな中佐山さんがツテを当たって頂いた中で、BCリーグ入団テストの話を頂いたんです。そこで合格を頂いたので、新潟アルビレックス・ベースボール・クラブへの入団が決まりました。
――正直、それまで独立リーグやBCリーグの存在は知っていましたか?
寺田 全く知りませんでした。NPB球団への受験をあきらめた時点で、野球ができなくなると思っていたんです。ですから「また野球ができる。頑張れば見えるものが変わるかもしれない」と思えたんです。入団までは筋トレをずっとやって、体重も85キロまで増えました。
――こうしてプロとしてやってきた新潟の街はどうでしたか?
寺田 大学とは異なる形でスポンサーとして協力してくれる方がいたり、一番はプロとして見られていること。お金を払っているがいることによる違いは感じました。
――グラウンド内で学んだことも多かったと思います。
寺田 1年目はガムシャラにやりましたが、2年目は橋上 秀樹監督(現:東北楽天ヘッドコーチ)に野球の知識を教えて頂き、高津 臣吾さん(現:東京ヤクルト一軍投手コーチ)にも投手としていろいろなことを教えてもらって「考える野球」をすることができるようになりました。これに能力もついてきたと思います。
山あり谷ありのアマチュア時代。そんな寺田 哲也の野球生活は、「プロ」の肩書が付いた新潟の地で大きな進化を遂げる。次回はその過程や理由、技術論や独立リーグ論、プロフェッショナル論に至るまで、多岐にわたって話を深めていきたい。
(インタビュー・寺下 友徳)

- 寺田 哲也(てらだ・てつや 投手)
- 生年月日:1987年4月2日(27歳)
- 栃木県河内町(現:宇都宮市河内町)生まれ
- 183センチ90キロ
- 右投右打
田原小学校3年時に近所の友人に誘われ、田原サンライズ(現:NTサンライズ)でプレーを始める。田原中では投手から外野手が主ポジションになり、3年時には「第19回全日本少年軟式野球大会」に出場。横浜スタジアムの土を踏み、岡山クラブ(岡山県)を破って1勝をマークした。なお、なでしこジャパン2011年ドイツ女子W杯優勝メンバーの鮫島彩(ベガルタ仙台レディース)は中学時代の同級生。
高校は地元の作新学院へ。2年秋に背番号「11」でセンバツを経験も出場はなし。3年春にはエース格として関東大会優勝を果たすも、最後の夏は準々決勝で涙を呑む。当時のストレートの最速は137キロ。
作新学院大では高校時代からのチームメイト・笹沼 明宏(全足利クラブ~福岡ソフトバンク育成<2012~2014>とバッテリーを組み、4年間での関甲新学生野球1部リーグ通算成績は6勝5敗。
大学卒業後の2010年にベースボール・チャレンジリーグ・新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに入団。1年目から6勝と頭角を現し、3年目の2012年にはレギュラーシーズン24試合登板で166回を投げ、145奪三振14勝4敗・防御率2.60。最多勝・最多奪三振に加え、ベストナイン・後期・年間最優秀選手(いずれも投手部門)と最優秀防御率を除き個人タイトル総なめ。新潟の上信地区前後期優勝・プレーオプ優勝、リーグチャンピオンシップ優勝。そして香川オリーブガイナーズを3連勝で下しての初の独立リーグ日本一へ大車輪の活躍を見せた。翌年もレギュラーシーズン19試合登板で133回を投げ、107奪三振15勝2敗・防御率1.35。前年に続き、最多勝・年間最優秀選手・後期最優秀選手・ベストナイン(いずれも投手部門)を受賞。加えて最優秀防御率・前期最優秀選手(投手部門)も獲得したが、チームは上信地区前後期優勝・プレーオプ優勝も、チャンピオンシップで石川ミリオンスターズの前に敗退。自らのNPB入りも果たせず、四国アイランドリーグplus・香川オリーブガイナーズへの移籍を決意する。BCリーグ4年間のレギュラーシーズン通算成績は97試合登板・41勝21敗・561回3分の1を投げ、被安打487 奪三振433 与四死球169 自責点161 防御率2.58。
香川では開幕投手を務めるなど当初はローテーションの柱として活躍したが、前期終盤からは中継ぎ・抑えなども兼務。フォークをマスターしたことで投球の幅も広がり、球速も149キロまで伸ばした。香川では自己最多の43試合登板・6勝4敗6セーブ・148回3分の1を投げ、被安打125 奪三振145 与四死球47 自責点48 防御率2.91の成績を残し、最多奪三振のタイトルを獲得。東京ヤクルトからドラフト4巡目指名を受け、年間グラゼニ賞も受賞した。
リリースポイントを最後まで見せない独自のフォームから最速149キロのストレート、スライダー、フォークなどを操るナイスガイ。今年11月4日には大学時代から7年間交際していた1歳下の祥子さんと入籍。公私ともに気持ちを込めてNPBの舞台へ羽ばたく。