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第36回 寺田 哲也投手(香川オリーブガイナーズ) Vol.32014年12月11日
【目次】
[1]「一年間野球ができる幸せ」から飛躍への助走へ
[2]大活躍もNPB指名はなし。「最後」と思った時に……。
[3]「その感覚」を得るために、四国・香川へのラストチャレンジを決断
寺田選手インタビューバックナンバー
第1回 野球を始めたルーツと高校時代について
第2回 苦難多きの大学時代と、自信を掴んだアルビレックス新潟時代
大活躍もNPB指名はなし。「最後」と思った時に……。
――迎えた3年目の2012年・高津 臣吾・選手兼任監督の下でチームは初の独立リーグ日本一。寺田選手自身も初のリーグ最多勝と最優秀選手(投手部門)にも輝く飛躍の年となりました。ところが、目標のNPBドラフト指名はなし。前年、巨人の育成指名で雨宮 敬投手(来季から新潟復帰)と渡辺 貴洋投手(今季から新潟復帰)がNPBに進んだ中、悔しさはひとしおだったと思います。

2012年グラウンドチャンピオンシップに参加する寺田哲也投手
寺田 そうですね。トータルで考えたら2012年が一番よかったです。他チームで対戦している選手もドラフト指名を受けて、様々な感情は正直抱きました。「選択終了」となった時は悔しさしかなかったです。
ドラフト前は指名を受けなかったときの進路も色々と考えていたのですが、ここで悔しさが湧いてきて。「このドラフトが終わってダメだったら、選手としてダメだ。何がなんでも香川オリーブガイナーズ(以下、香川)を倒してやる」と思えたことが、日本独立リーググランドチャンピオンシップ(以下、GCS)第3戦での好投につながったと思います。
そして「2年連続で最優秀選手になれたらNPBに行けるんじゃないか」と思えたことが、4年目も結果を残す(最多勝・最優秀防御率・シーズン最優秀選手<投手部門>)原動力になりました。ただ、4年目もNPB指名はなく。
――そうでしたか……。
寺田 「もうこれで終わりにしよう。これでダメだったらNPBには縁がないんだ」と思って、昨年11月に新潟県で開催されたMLB、ボストン・レッドソックスのトライアウト受験で区切りにしようと思ったんです。このトライアウトがなかったら、そのまま野球は辞めていたと思います。
――ところが、翌年は香川で野球をすることに。なぜですか?
寺田 キャッチボールで肩を作っていたとき、その年にできなかったことがいっぱいできたんですよ。「この感覚なら、来年150キロが出せるんじゃないか?」と思ったんです。
ですので、今の奥さんにも「続けていい?」と相談して、「続けていいよ」と言ってもらったので、野球を続けることにしたんです。
【次のページ】 「その感覚」を得るために、四国・香川へのラストチャレンジを決断

- 寺田 哲也(てらだ・てつや 投手)
- 生年月日:1987年4月2日(27歳)
- 栃木県河内町(現:宇都宮市河内町)生まれ
- 183センチ90キロ
- 右投右打
田原小学校3年時に近所の友人に誘われ、田原サンライズ(現:NTサンライズ)でプレーを始める。田原中では投手から外野手が主ポジションになり、3年時には「第19回全日本少年軟式野球大会」に出場。横浜スタジアムの土を踏み、岡山クラブ(岡山県)を破って1勝をマークした。なお、なでしこジャパン2011年ドイツ女子W杯優勝メンバーの鮫島彩(ベガルタ仙台レディース)は中学時代の同級生。
高校は地元の作新学院へ。2年秋に背番号「11」でセンバツを経験も出場はなし。3年春にはエース格として関東大会優勝を果たすも、最後の夏は準々決勝で涙を呑む。当時のストレートの最速は137キロ。
作新学院大では高校時代からのチームメイト・笹沼 明宏(全足利クラブ~福岡ソフトバンク育成<2012~2014>とバッテリーを組み、4年間での関甲新学生野球1部リーグ通算成績は6勝5敗。
大学卒業後の2010年にベースボール・チャレンジリーグ・新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに入団。1年目から6勝と頭角を現し、3年目の2012年にはレギュラーシーズン24試合登板で166回を投げ、145奪三振14勝4敗・防御率2.60。最多勝・最多奪三振に加え、ベストナイン・後期・年間最優秀選手(いずれも投手部門)と最優秀防御率を除き個人タイトル総なめ。新潟の上信地区前後期優勝・プレーオプ優勝、リーグチャンピオンシップ優勝。そして香川オリーブガイナーズを3連勝で下しての初の独立リーグ日本一へ大車輪の活躍を見せた。翌年もレギュラーシーズン19試合登板で133回を投げ、107奪三振15勝2敗・防御率1.35。前年に続き、最多勝・年間最優秀選手・後期最優秀選手・ベストナイン(いずれも投手部門)を受賞。加えて最優秀防御率・前期最優秀選手(投手部門)も獲得したが、チームは上信地区前後期優勝・プレーオプ優勝も、チャンピオンシップで石川ミリオンスターズの前に敗退。自らのNPB入りも果たせず、四国アイランドリーグplus・香川オリーブガイナーズへの移籍を決意する。BCリーグ4年間のレギュラーシーズン通算成績は97試合登板・41勝21敗・561回3分の1を投げ、被安打487 奪三振433 与四死球169 自責点161 防御率2.58。
香川では開幕投手を務めるなど当初はローテーションの柱として活躍したが、前期終盤からは中継ぎ・抑えなども兼務。フォークをマスターしたことで投球の幅も広がり、球速も149キロまで伸ばした。香川では自己最多の43試合登板・6勝4敗6セーブ・148回3分の1を投げ、被安打125 奪三振145 与四死球47 自責点48 防御率2.91の成績を残し、最多奪三振のタイトルを獲得。東京ヤクルトからドラフト4巡目指名を受け、年間グラゼニ賞も受賞した。
リリースポイントを最後まで見せない独自のフォームから最速149キロのストレート、スライダー、フォークなどを操るナイスガイ。今年11月4日には大学時代から7年間交際していた1歳下の祥子さんと入籍。公私ともに気持ちを込めてNPBの舞台へ羽ばたく。