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第40回 徳島インディゴソックス・山本 雅士投手 インタビュー 練習生時代に学んだ「プロフェッショナル」 Vol.22014年12月25日

Vol.1では、山本雅士投手の高校時代、入団当時のエピソードを紹介していきました。Vol.2では練習生時代に学んだプロフェッショナルの技術論に触れて、成長を果たし、そして選手契約を果たすまでのストーリーを紹介していきます。彼のサクセスストーリーにはどんな秘密があったのでしょうか。
Vol.3は12月27日(土)公開予定です!
【目次】
[1]練習生時代に学んだ「プロフェッショナル」
[2]自主トレで深めた「ボトムアップ」で2年目、ついに選手契約
[3]制球力・スローカーブ・データetc…「ボトムアップ」で自信の投球へ
山本選手インタビューバックナンバー
第1回 僕が築き上げた「1人ボトムアップ」
練習生時代に学んだ「プロフェッショナル」
――昨年は練習生の立場でしたが、広島東洋カープから育成選手派遣されていた小松 剛投手(NPB一軍で6勝6敗。現:広島東洋カープ広報)など「プロフェッショナル」に触れる機会も多かったと思います。

5月14日・高知ファイティングドックス戦でリーグ初完投初完封を果たした山本 雅士投手
山本 雅士投手(以下「山本」) 練習の時、キャッチボールの組み合わせは固定なんですが、僕は3人1組のときはたまたま小松さんと入野 貴大(来季から東北楽天ゴールデンイーグルス)(2013年インタビュー)さんと一緒だったんです。
このお二人とキャッチボールをすると、ボールの回転が全く違う。「受ける時も勉強。投げる時も勉強」。キャッチボールの大切さをはじめて知りました。今ではブルペンのピッチングよりむしろキャッチボールの方が大事だと思います。
――キャッチボールで勉強になったことをもう少し噛み砕いて頂けますか?
山本 「キャッチボールの延長線上にピッチングがある」ということです。キャッチボールの段階からフォームバランスやボールの回転、リリースの感覚などチェックポイントがたくさんあることを学びました。一日一日テーマを持って、「今日のキャッチボールではそのうち、これを意識してやろう」という感じで進めました。
――小松投手から最初にアドバイスされたことを覚えていますか?
山本 「フォームバランスがリリース含め全てに影響するよ」と言われました。あとは全員でアップをした後、キャッチボール直前に肩やひじのストレッチを入れることなど、「1つ1つ細かいことがピッチングにつながるから」ということも教わって、気を配るようになりました。
――島田 直也監督(来季から横浜DeNAベイスターズ2軍投手コーチ)からも様々なアドバイスを頂いたそうですね。
山本 リリースの瞬間にだけ力を入れることや、目的を持って練習すること。「次の1球に何の意図があるか考えろ」とも言われました。このアドバイスがあって、ピッチング内容も変わりましたし、高校時代には全部力を入れて投げていたフォームも、右ひじを柔らかく、しなやかに使っていく意識を持ってできるようになりました。
――「考える」でいえば徳島の場合、練習生は公式戦で試合運営の他にスコアラーの仕事も入ってきます。これも大きかったのでは?
山本 スコアラーもやりましたし、「BSO」のカウント点灯係も。いろんなことをしました。でも、スコアラーをすると配球とかで勉強になることも多かったんです。香川オリーブガイナーズ(以下、香川)では又吉 克樹さん(現:中日ドラゴンズ)(2013年インタビュー【前編】【後編】)も投げていましたから、そのようないい投手が、どこに投げて、その次に何を投げるのかを見ていました。ですから、試合に出られなくても学ぶことはたくさんあったと思います。
――チームはリーグ総合優勝を果たすも、練習生のまま公式戦登板なしで終わった1年目。そしてシーズンが終わると多くの選手がチームを去る「プロの厳しさ」も味わったと思います。
山本 先輩たちが年間優勝する過程も見れましたし、厳しさも知りました。この先輩たちに追いつきたいと思いましたし、去っていく先輩方の穴を埋めたいとも思って、シーズンを終えても練習を続けていました。
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- 山本雅士(やまもと・まさし 投手)
- 生年月日:1994年11月3日(20歳)
- 広島県広島市安芸区出身
- 173センチ78キロ
- 右投左打
最速146キロの伸びがあるストレートとカットボールが最大の武器。他にフォークやスライダー、今季からマスターしたスローカーブを操る右腕。広島市立瀬野小3年生でソフトボールを始め「瀬野小ソフトボールクラブ(現:瀬野ソフトボールクラブ)」で3年間プレー。広島市立瀬野川東中に進むと軟式野球部に転じ、広島県立安芸南高校で硬式野球へ。1年夏には早くも背番号「10」で登板した。
しかし直後に腰と肩を痛め、3年までマウンドには戻れず最後の夏は背番号「3」で一塁手兼投手。3回戦で敗退するも満足感は得られず、四国アイランドリーグplusのトライアウト受験を決断。四国開催トライアウトでは1次試験を突破。2次試験合格・ドラフト指名は叶わなかったが、徳島インディゴソックス(以下、徳島)から練習生契約打診を受け受諾。2013年は徳島の練習生として一年間を過ごし、「Winter league」などで登板した。
今季は開幕直前に練習生を脱し背番号「37」で選手契約を勝ち取ると、前期は先発、後期は中継ぎ・抑えで大車輪の活躍。愛媛マンダリンパイレーツとのリーグチャンピオンシップ、ルートインBCリーグ・群馬ダイヤモンドペガサスとの日本独立リーグ・グランドチャンピオンシップではいずれも胴上げ投手に輝き、四国4県知事連携チームMVPを受賞した。成績は31試合登板で4勝5敗6セーブ・102回3分の2を投げ被安打92 奪三振89 与四死球39で防御率2.54(リーグ5位)。
10月23日には中日ドラゴンズ8位指名を受け、11月11日に契約金1,500万円・年俸600万円(いずれも推定)で仮契約。背番号「51」・登録名「山本雅士」でナゴヤドームでの躍動を期す。