第50回 新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ 野呂 大樹外野手【前編】「ハンディをハンディにしない『研ぎ澄まし』」2015年07月03日

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【目次】
[1]暖かい仲間に支えられた少年時代
[2]「感覚を研ぎ澄ます」スタイルで示した強い決意
[3]「急造投手」で道を切り拓き、兄を追って堀越高へ

 ルートインBCリーグ・「FUTURE-East」地区前期を独走で制した新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(以下、新潟アルビレックスBC)。そんなチームのリードオフマンとして2位・18盗塁の森 亮太(福井ミラクルエレファンツ)(2015年インタビュー【vol.1】【vol.2】)・石突 廣彦(石川ミリオンスターズ)を大きく引き離す36試合29盗塁(7月1日現在)を決めたのが、新潟アルビレックスBC入団5年目の野呂 大樹外野手(26歳)である。

 中堅手としても広い守備範囲を誇る野呂選手。「先天性難聴」という野球選手としては大きなハンディキャップを抱えてプレーしているにもかかわらず、彼はリーグトップクラスの実力を堅持している。
障がいを一切感じさせないハツラツとしたプレー。「とにかく野球が楽しくてしょうがない」という様子が全身から見える彼がどのように野球と出会い、野球に魅せられ、そして今後どうなっていきたいのか。

 前編では野球をはじめたきっかけから、高校時代までの仲間の支えと今に至るプレースタイルの起源について、深層に迫った。

暖かい仲間に支えられた少年時代

新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ・野呂 大樹

「今日はありがとうございます。すいません、大きな声でゆっくり話していただければ助かります。どうしても分からない時はメモに書きます。面倒をお掛けしますが、よろしくお願いします」

 開口一番、筆者にそう伝えると、野呂 大樹は耳の補聴器に手を当て、位置を調整した。先天性の難聴。補聴器を付けても日常生活では、母音が同じ言葉を判別することは難しいという。だがそんな困難を乗り越えて、彼は今、BCリーグを代表する選手として活躍している。話は野球との出会いから始まった。

野呂大樹選手(以下、野呂) 最初は2つ上の兄と父がキャッチボールやバッティング練習をしているのを見て、自分もやってみたいと思ったんです。ただその頃は、野球自体にそこまで興味がなく、単純に打ったり投げたりするのが楽しかったんですね。
そうしているうちに小学校2年の時、テレビで初めてプロ野球を見たんです。野球という仕事があることを初めて知って、僕もプロに行きたいと思うようになって、地元の少年野球のチームに兄と一緒に入りました。

 ただ、夢への入り口に立つには「耳が聞こえない中で野球をする」不安を拭い去る必要がある。幸いにも野呂の周囲には多くのサポートがあった。

野呂 僕も兄も耳が聞こえないので、最初は耳が聞こえる人たちの中でやるのが不安で心配していました。監督、コーチ、チームメイトとどうコミュニケーションを取っていいか分からないですから。それもあって僕らがチームに入団するときに、そのチームの監督からは「お父さんにコーチをしてもらえませんか?」と打診があって。父も高校野球やクラブチームで野球をやっていたので一緒に入ったんです。
でも結局、その不安は全くの杞憂でした。みんな本当に優しくて。チームメイトのみんなも、自分の耳が聴こえないことを分かってくれた上で協力してくれました。ミーティングの内容を後で詳しく教えてくれたり。そんな環境の中で野球ができたことが一番うれしかったですね。もし仲間たちが、悪いやつ、嫌なやつだったら、野球を途中で辞めていたと思います。

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