印刷する このエントリーをはてなブックマークに追加   

第4回 06BULLS イッソー・タパ選手2012年04月24日

「ベースボール ラマイロ フンツア?(野球は楽しいですか?)」

イッソー・タパ選手 (06BULLS)

 関西独立リーグにヒマラヤ山脈のふもとからやってきた選手がいる。

イッソー・タパ 23歳

 出身はネパールのポカラ。同国で史上初のプロ野球選手である。10数年前まで、ネパールではほとんど野球が知られていなかった。1999年、日本からやってきたボランティア学生の一人が、遊びで始めたキャッチボール。それを物珍しそうに見ていた少年たちが、虜になって、野球が知られるようになったという。
 現在、ネパールで野球を広げる活動を行なっている『ラリグラスの会』の代表を務める小林洋平さんは話す。

 「向こうでは、サッカーやバレーボールは盛んではあったのですが、他に球技といって出てくるものはなかった。それで、ネパールには知られていない野球を通して交流することで、よりよい人間関係とかにつながったらいいな、という単純な思いで野球を広めてみようか、という形で始めたのが1999年なのです」。

 当初の参加者は20人くらい。ボランティアの学生は、「これがボールです」という形で、現地の子供たちと野球を始めた。それから2年後の2001年、ピッチャーの練習を始めた少年がいた。それが、イッソー選手である。
 「ピッチャーの練習がすごく楽しい。打者を抑えるのが気持ちいい」というイッソー少年は、徐々に頭角を現す。

イッソー選手と小林さん

 「交流活動を続けていくうちに、イッソー選手のボールを他のネパール人の選手が誰も打てなくなって、かすりもしないようになった」と小林さんは振り返る。
 2009年、「彼自信が頑張っていても、他のプレイヤーが(イッソー選手の球を)打てなくなってきているっていうのは事実」と、イッソー選手は日本にやってきた。
 しかし、自信を持って来日した彼は、日本の野球のレベルに大きなショックを受けたという。

 「色んな高校や大学、それに専門学校にお願いして、野球指導という形で練習に参加させてもらった。独立リーグのトライアウトも受けたのですが、やはり甘くはなかった。(精神的にも)ボロボロになってすごく悔しい思いをしていました」と話した小林さん。
 だが、イッソー選手のハングリー精神は日本人にはないものだった。現実を体感したことで、次第に「もっと頑張るぞ」という気持ちが生まれ、練習に励んだ。それまで120キロ台だった直球が、140キロ近く出るようになったという。

 そして2011年、イッソー選手は関西独立リーグの『大阪ホークスドリーム』に入団。ついにプロ野球選手になった。このシーズンでは9試合に登板し、その様子はテレビなどにもとりあげられるようになった。

 今シーズンからは、『06BULLS』に所属し、さらなる高みを目指すイッソー選手にお話を伺いました。

  

【次のページ】 悔しさと、もっと頑張ろうという気持ちを強く持った2011年


プロフィール

山縣有輔
イッソー・タパ (ISWOR THAPA )
  • 1986年11月6日生まれ。ネパール出身。178cm75kg
  • シカ・カリカ・モルティブル大(ネパール)- 大阪ホークスドリーム(2011年)-06BULLS(2012年)。
  • 13歳のとき、ラリグラスの会の活動をきっかけに野球を始める。
    2011年4月に開催された第1回南アジア野球選手権では、ネパール初となる野球の国家代表チームでエースとして活躍した。2010年に再来日し、大阪ホークスドリームに入団し、ネパール人初のプロ野球選手となる。

インタビュー