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第10回 徳島インディゴソックス 根鈴雄次 選手2012年08月13日

 大学卒業時に渡米。様々な地域を渡り歩き、日本に戻ってきた根鈴雄次選手。結果を残さなければ契約が切られる厳しいアメリカでプレーしてきた根鈴選手だからこそ語れるプロ野球選手の定義、プロ野球の定義、今後の目標を語ってもらいました。

アメリカのトリプルAでも活躍を残した20代

――10代の時、アメリカでプレーされた根鈴選手ですが、海外に渡ることに当時は恐怖心などなかったのでしょうか?

根鈴雄次選手(以下「根鈴」)  恐怖心というよりも、私は高校を中退したので、当時は今のように独立リーグがあるわけではなく、すぐにプレーできる場所がありませんでした。
 野球ができる道を模索し始めたのが最初ですね。せっかくアメリカでやるならば、メジャーを目指そうということで、2年やってきて、トロント・ブルージェイズのスカウティングリーグに入ることができました。
 当時有名な選手といえばジェフケントさんで、インストラクションリーグ(教育リーグ)で一緒にプレーしたこともありましたが、そこで頭打ちといったというか、ビザも切れる関係で、アメリカで野球をやれる道がなくなってしまったんです。それで、日本の定時制に入りなおして、高校を卒業した後に指定校推薦で法政大学に入ることができました。そこから4年間みっちりと野球に打ち込むことができ、そこで日本の野球をしっかりと学ぶことができました。

――根鈴選手はマイナーリーグ、独立リーグ、メキシカンリーグ、オランダと世界を渡り歩いていますが、世界を渡り歩くきっかけは何ですか?

「根鈴」 大学4年生の時に、就職先を探していたんですが、自分の年齢が同学年より4学年上なので、企業からすると4学年上の選手を新卒として入れるのは前例にないし、厳しいということで、監督さんが新設私学の高校野球の監督にならないか?と紹介してくださった。とてもありがたい話だったのですが、自分としては4年間法政大学で野球をやったことでうまくなった実感がありましたし、卒業した後も野球をやっていきたいと感じていたので、それで探した道がアメリカしかなかったというのが一番の理由です。

 自費で渡米して、フロリダのベースボールアカデミーに入りました。そのベースボールアカデミーは、モントリオール・エクスポズ(現ナショナルズ)と提携していて、そこで自分で言うのもなんですが、神懸かりの調子で(笑)。結果を残し続けて、マイナーのキャンプに招待選手として入って、いきなりトリプルAでプレーすることが出来ました。その一番最初の試合で、投手が伊良部さんで、僕がファーストで、信じられないシチュエーションの中で、僕のメジャー生活がスタートしたんですね。当然、伊良部さんは僕を見て驚くわけですよね。日本人野手としては前例がありませんから。

――いきなりトリプルAという高いレベルでプレーする心境はどんな感じだったのでしょうか?

「根鈴」 アメリカは名前を覚えてもらうのが先なんです。キャンプに参加して、自分がもらった背番号が「46」なんですけど、46を着けた選手が同じフィールド内に5人ぐらいいるんですよ。四面の球場がある中で、名前を覚えてもらわない限り、「ちっちゃい46番」「黒い46番」なんです。名前を覚えてもらうために必死でやって、初めての組み分けがトリプルAでした。

 アメリカにはシングルA、ダブルA、トリプルA、メジャーというランクがあることは知っていたんですけど、いきなりある程度のレベルに入れられたんですよね。緊張するとかは通り越して、開き直っていましたね。どうせここでだめならクビで、日本に帰るしかないということで、逆に集中して試合がやれましたね。そのキャンプでも結果を残して、本契約まで辿りついて、プロとしてのスタートを切った。それが2000年の3月です。

――根鈴選手は日本の独立リーグでプレーして6年目になりますが、これまで色んなリーグや世界を経験された中で、改めて感じる日本の独立リーグの良い点とは、どんなところでしょうか?

「根鈴」 アメリカでは、メジャーリーグ以外のマイナーリーグも独立リーグも、同じ扱いなんですよ。アメリカの独立リーグといえども国土が広いので、地方都市にとっては貴重な娯楽で、日々の家族を団欒するためのツールでもありますし、週末の人々とコミュニケーションを取る場所でもありますし、まさに「ボールパーク」なんですよね。

 日本の独立リーグは選手を育成して、役割を担うようになったのは大変良いことだと思います。僕が大学を出る時は、その機会が日本はなかったので、野球をやる場所がないような若い選手にとって場所を提供するという意味で良いと思います。ただ一野球ファンや、野球にあまり興味がない方、そして地方の方々に、話題を提供し切れているかというかというと、アメリカからするとまだまだですね。

 ただ野球の技術においては、十分なレベルに達していると思います。その証拠にアメリカのマイナーリーグ、独立リーグで活躍してきた選手が入ってきています。それでも、そう簡単に、成績を残しているわけではないんですよね。切磋琢磨して、競争原理を働いているところなので、良いモノしか生き残ってこない。(日本の独立リーグは)8年続いたことで、選手の質、野球の質はだいぶ高まっていると思います。

――選手の技術を高めるツールとしては大きな役割を担っていますが、観客を呼び込むのはアメリカに比べてまだまだなんですね。

「根鈴」 スポーツエンターテイメントとして決定的な差があるかなと思いますね。  簡単に言えばアメリカの独立リーグは少ないなぁと思いながらも1000人以上は入っていますし、僕がいたセントポールセインツは、僕が在籍していた時代にアメリカのスポーツ界で記録を作ったほど。フルハウス(満員の状態)が8000人なんですが、3~4年続けて、地元開催だとフルハウスなんですよ。チケットは売り切れ。これは、スポーツ団体であまりなくて、記録として残っているようです。

――根鈴さんは今季、月間MVP、得点圏打率5割を記録していますが、その勝負強さの秘訣は?

「根鈴」 僕の場合は、一流選手のように契約が保証されている立場ではなくて、シーズンのスタートで成績が悪いと首になる経験を何度もしてきています。シーズンスタートに対しての意識は、他の選手よりもあるかなと思いますね。結果的に勝負強さに繋がりますし、チャンスの時に結果を残すと人の印象に残りますし、それは海外でも、日本でも一緒です。

 やはり野球選手は悲しいかな“数字”で判断されてしまうので、打率であったり、打点を残せば、印象は悪くてもOKなんですよね。だけど、打率2割5分が続けば『じゃあ変わろうか』と上に一言言われれば、変わってしまう世界。海外では日雇いで変わってしまうのはよくあることで、僕の代わりがいれば『じゃあ変わろうか』という世界なので、今年に関しては結果を出せて良かったかなと思っています。


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プロフィール

根鈴 雄次
  • 1973年8月9日 神奈川県出身
  • 身長175センチ  体重103キロ 左投げ左打ち
  • 新宿山吹高校ー法政大学ーエクスポズ傘下ー米独立リーグーメキシカンリーグー米独立リーグーカナダリーグー米独立リーグーオランダリーグー新潟アルビレックスBC(07~08)ー長崎セインツ(09~10)ー徳島インディゴソックス
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