第26回 香川オリーブガイナーズ 国本 和俊 内野手2013年12月17日

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「感謝」

 「独立リーグの中で『ミスター』です!」
 11月19日に開催された「香川オリーブガイナーズ出2013シーズン御礼報告会」で西田真二監督は国本 和俊内野手をこのような言葉で褒め称えた。

 当然だろう。2006年からの8年間で積み上げた出場試合は611。2015打数581安打、うち二塁打84・三塁打17・本塁打36。打点260、盗塁73、打率.288。二塁打数と通算打率は2005年から2011年までの在籍で二塁打110・三塁打17をマークし打率.289を残した古卿 大知(高知ファイティングドックス→愛媛マンダリンパイレーツ)に。盗塁数は2006年から2009年まで高知ファイティングドッグスに所属し、歴代トップ通算147盗塁のYAMASHINN(本名:山本 伸一、2012年より競輪選手<2014年1月よりS級2班昇級>)に及ばないが、残りの記録は全て四国アイランドリーグplusの通算トップ。この輝かしい数字こそNPBにはわずかに手が届かなかったものの、国本 和俊が常に一流であり続けた何よりの証だ。

 そんな「日本独立リーグのミスター」が30歳を迎えた今年、ついに現役ユニフォームを脱ぐ決意をした。最後は2年間・主将として香川オリーブガイナーズを牽引し、重い荷物を降ろした旅人が今、8年間の想いと感謝を一気に語る。

【目次】
[1]「やりきった」四国アイランドリーグplusでの8年間
[2]「NPB」目指し打撃を鍛え、花開いた入団5・6年目。しかし…
「3」「NPBにいくため」から「主将として」に
[4]引退を決意する中で守ったプライドと「野球好き」
「5」感謝を胸に「恩返しする」道へ

「やりきった」四国アイランドリーグplusでの8年間

――さて、8年間を短い時間で語るのは難しいことだと思いますが…。現役を終え時間がたった今、率直に思うことはなんですか?

国本 和俊選手(以下「国本」) 「やりきった」そう思います。「よく8年間もできたな」ですね。
 そして本当に「感謝」です。自分1人の力でここまでできたわけではないですから。まず、リーグに関して言えば鍵山(誠CEO)さんがいなかったら、ここまで野球を続けられていたとは思いませんし、香川に来たのも縁だと思います。(川端省三)球団社長だったり(堀込孝二)球団代表やスタッフの皆さん、現場では西田真二監督をはじめとする指導者の皆さん…いい出会いに恵まれたと感じています。
 そういった条件が全て合ったからこそ、8年間も四国アイランドリーグplusで野球ができましたし「頑張ろう」という気持ちにもなれました。

香川オリーブガイナーズ 国本 和俊 選手

――そうですね。では一度8年前に時計の針を戻しましょう。まず、香川オリーブガイナーズに入団するきっかけは?

国本 三重中京大を卒業する際、社会人野球チームのトライアウトを受験したんですが、色よい返事がもらえなかったんです。それでも「野球がしたい」と思っていた矢先に、独立リーグに行かれていた享栄高の一年先輩である梶田(宙・愛知大→高知ファイティングドックス)さんから声をかけて頂いて。リーグについての話もして頂いた上でトライアウトを受験しました。

――高校時代の先輩後輩関係が野球を続けられるきっかけになったわけですね。ただ、当時創設間もない独立リーグに身を投じるには大きな決断も必要だったと思いますが…。

国本 そうです。リーグも1年目が終わったばかりだったし、当時は正直、リーグのレベルに対する周囲の評判もよくなかったので、不安の方が大きかったんです。でも、いざ入団してみるとレベルは高かった。実際に来てみないとわからないものです。

――「レベルの高さ」を感じたのはどんな場面でした?

国本 2006年の開幕戦、僕はベンチだったんです。これまで小・中・高・大と学生時代は試合に出るのが当たり前。しかも主軸を張っていたのが開幕スタメンを取れなかった。そこで自分の実力不足と、周りの選手たちの「質の高さ」を思い知らされました。
 当時、僕は守備が本当に苦手だったんですが、守備の上手い選手もいっぱいいましたし、足の速い選手もいっぱいいました。学生時代は僕も長打をウリにしていたんですが、チーム内でも(近藤)洋輔さん(滝川高→大阪経済大→NOMOベースボールクラブ・2006~2010年在籍)や、(森田)丈武さん(山梨学院高→江藤塾ベースボールアカデミー→三菱自動車岡崎・2006~2008年在籍→東北楽天→元パナソニック)のような長打力を持った打者がいました。守備では(近藤)智勝さん(現香川オリーブガイナーズコーチ)もいらっしゃったので。『このままではヤバい』と思いました。

――とはいえ、一年目のシーズン後には中堅手でベストナイン獲得。そこから立ち直れた理由はどこにあるのですか?

国本 考える余裕なく、ついていくのに必死だったような一年目だったと思います。ただ、多少時間がかかる中でも、いい意味での試合慣れ、ON・OFFの切り替えができるようになってからは自分らしいプレーができるようになってきたと思います。とはいえ、僕が若手だったころは、先輩たちに付いていけば優勝できる。独立リーグ日本一にもなれる。そんな感じでした。

――ちなみに、現在、東京ヤクルトスワローズの三輪 正義選手とも一緒にプレーしていましたよね?

国本 三輪は一年早く入団していましたが、同級生で2年間一緒にやっていましたね。一緒の部屋にも住んでいましたよ(笑)。

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プロフィール

国本和俊(くにもと・かずとし)
国本和俊(くにもと・かずとし)
  • 1983年9月12日・30歳
  • 愛知県春日井市生まれ
  • 180センチ83キロ
  • 右投左打
  • 血液型A型
  • 東野小学校2年の時、1歳上の実兄・英俊さんの影響を受け、春日井ボーイズ(硬式)で野球をはじめる。松原中3年まで7年間同チームに所属。このころから内野手。享栄高では2年春に2000(平成12年)第72回センバツへ出場。セカンドとして英俊さんと一・二塁間、クリーンナップを組む。ちなみに現在、高知ファイティングドックスに所属する梶田 宙中堅手も1年上の先輩だった。
  • 三重中京大でも主力を張り、2006年に香川オリーブガイナーズ入団。試合出場機会を求めて中堅手を務めた1年目から定位置を奪い90試合中84試合に出場。268打数76安打・本塁打3・打点25・盗塁7・打率.284でベストナインを受賞し、チームの後期V・初の総合優勝に貢献する。
  • 内野手に戻った2年目以降もリーグ3連覇を達成したチームにあって安定した成績を残し、特に5年目の2010年には76試合中73試合に出場。256打数68安打・本塁打9・打点46・盗塁7・打率.344で初の首位打者、二塁手として2度目のベストナインを受賞。9月には月間MVPも獲得し、チームの前後期V・2年ぶり4度目の総合優勝、そして初の独立リーグ日本一を果たしたチームの大黒柱となった。
  • 2011年には打率.350のハイアベレージで前期優勝の原動力となり、三塁手で3度目のベストナイン。2012年からは主将に就任し前期優勝・2年ぶり5度目の総合優勝の精神的支柱ともなった。そして心に期するものを持って臨んだ2013年。チームは前期優勝も自身は大スランプに。しかし後期は8月に月間MVPを獲得するなど急上昇で最終的には打率.282で打率10傑7位に。意地の復活で8年目の集大成を飾り、シーズン終了後に引退を表明した。
  • 上記データは掲載時のものとなります。
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