第1回 イーストアストライア 川端友紀選手(前編)2013年07月01日

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【目次】
[1]世界の舞台に憧れた小・中学生の頃
[2]野球一家に生まれたからこそ
[3]運命を感じた女子プロ野球の設立

野球一家に生まれたからこそ


――お父様もとても野球が好きな方と伺いました。

川端 そうですね。父は、私が小学校の時に野球を教えてくれていた時は、グランドでは厳しいですけど、家では普通の良いお父さんで、そんなに怒られた記憶はないですね。グランドでは厳しく、グランドを離れれば良いお父さん、とメリハリができていたかなと思います。

――お父さんにはどんなことを教わっていたのでしょうか? やはりテクニカル的なことが中心なのでしょうか?

川端 いつも野球、野球という感じではないですけど、野球の話をする時はやっぱりそういったテクニカルな話もしましたね。とにかく野球に関連する話を多く話してくれた記憶があります。

小さい頃の思い出を語る川端選手

――野球一家に生まれたからこそ、今の川端選手があるのですね。

川端 そうですね。特に兄は学校から帰ってきたら、一緒に練習するぞと言って毎日練習していたぐらいで。兄の存在がなかったら、今の私はないと思います。家の前で、地面はコンクリートですけど、ノックをしたり、キャッチボールをしていました。ノックはずっと私が受けていましたね(笑) 
 小学生なので、遊び感覚だと思うんですけど、私は必死でした(笑)

――野球が好きだからついて行こうと思ったのでしょうか?

川端 うまくなりたいという気持ちはすごく思っていたので、終わる時は私が泣く時なんですけど、そこまでやりましたね。

――主にどんな練習をしていたのでしょうか?

川端 ノックですね。私が一番記憶に残っているのはノック。それぐらい兄のノックを受けましたね。

――泣いたというのはどういう理由があってのことでしょうか?

川端 兄のノックが終わらないからです(笑) 
 ルールがありまして、ルールをクリアしないと終わらないです。兄は意地悪なので、終わらせないようにするんですよね。 

――お父様、お母様は見ていらっしゃるのでしょうか?

川端 いや二人で勝手にやっていたので。父がいる時は3人で練習する時もありますけど、殆ど仕事でいなかったので、兄と2人でやることが多かったです。 

――当時ノックが今につながっているのはありますか?

川端 毎日ただ必死にやっていただけなんですが、ボールの感覚には触れていたので、今思えばプラスだったなと思います。どちらかと言えば遊び感覚でやっていたのですけど、今にいきてよかったと思います。

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プロフィール

川端友紀
川端友紀 (かわばた・ゆき)
  • イースト・アストライア
  • ポジション:内野手
  • 生年月日:1989年5月12日
  • 出身地:大阪府貝塚市
  • 経歴:市立和歌山高(ソフトボール) - 塩野義製薬(ソフトボール) - 京都アストドリームス(2010 - 2012) - イースト・アストライア(2013〜)
  • 身長:170cm
  • タイプ:右投左打
  • 首位打者(2010、2011)
    最高出塁率(2011)
    ベストナイン遊撃手(2011)
  • 上記データは掲載時のものとなります。
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