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第3回 サウス ディオーネ 厚ヶ瀬美姫選手2013年08月01日

女子プロ球界ナンバーワンの華麗なフィールディングを誇り、好守にわたって華のあるプレーを披露する厚ヶ瀬美姫選手(サウス ディオーネ)。アマチュア時代の2008年には、日本代表のレギュラー選手として、日本チームのワールドカップ初優勝に貢献。2010年のプロ入り後も、リーグを代表する存在として最前線で活躍中。
そんな厚ヶ瀬選手に、野球を始めたきっかけや、神村学園高校時代の同級生で、現在はともにプロで活躍する中野菜摘選手(イースト アストライア)、宮原臣佳選手(サウス ディオーネ)との思い出などについて、お伺いしました。
【目次】
[1]神村学園で鍛えられた日々
[2]野球から一度離れて
[3]もう一度、マドンナジャパンに
神村学園で鍛えられた日々
――まずは、野球を始めたきっかけを教えて下さい。
厚ヶ瀬美姫選手(以下「厚ヶ瀬」) 小さい頃から父の草野球を見に行っていて、それで興味を持ち始めました。野球をやっている父の姿が、とっても楽しそうだったのが印象に残っています。それが、小学校1年の頃です。ルールとかはまったくわかってなかったですけど、「自分でもやってみたい」と思って始めました。

サウス ディオーネ 厚ヶ瀬美姫選手
――子どもの頃の所属チームとポジションは?
厚ヶ瀬 小学校のときは菅原東ビクトリーで、ピッチャーとサードを守っていて、このときは女子一人でした。中学のときは枚方ビクトリーで、ピッチャーをやっていました。中学のときはバッターとしてはあんまり機能していなかったけど、ピッチャーとしては「バッターを打ちとる楽しさ」を感じていましたね。当時は、打つよりも「投げるのが仕事」という感じでした。
――神村学園に進学を決めた理由は?
厚ヶ瀬 最初は神村に行くつもりはなかったんですけど、中学3年の夏に高校の全国大会を見に行ったときに、神村が全国制覇したのを見てから「やっぱり強いチームでやりたい」と思って神村学園への入学を決めました。そのときの代には幸夏さん(田中幸夏・サウス ディオーネ)がいました。
――じゃあ、世界を代表する強打者・日本代表の西朝美捕手(現・AFB Battro )もいた代ですね。
厚ヶ瀬 そうです。西さんもいたし、本当に強かったです。それからはずっと、神村ひと筋でした。父は元々、ずっと神村に行って欲しかったようなので、すぐに賛成してくれました。
――そして、神村学園に入学します。同期には現在、JWBLで活躍する中野菜摘(イースト アストライア)、宮原臣佳(サウス ディオーネ)、そして第3回ワールドカップ(W杯)で大会MVPを獲得した野口霞投手など、そうそうたるメンバーと出会いますね。入学当時は、同期は何人いたのですか?
厚ヶ瀬 17人です。卒業まで17人でした。入学したときは、ピッチャーよりも、守る楽しさを感じていて、「セカンドを希望するか、ショートにするか」、悩んだんです。そのときに悩んだのが中野の存在でした(笑)。
――どうして、中野さんの存在が悩みの原因に?
厚ヶ瀬 中野が、セカンドかショートか、どっちを希望するかで、「かぶったら(レギュラーは)ヤバい」と思っていたので(笑)。そこで、父と相談の結果、賭けに出てショートを希望しました。
――中野さんは久留米ボーイズ時代から全国的に有名な選手でしたからね。そうしたら、中野さんは「セカンド志望」だった?
厚ヶ瀬 はい。それで、中野がセカンドで私がショートになりました。それからはずっと、中野と二遊間です。宮原は、ピッチャーとファーストをやっていたのかな? 当時はピッチャーのことにはあまり関心なくて、自分のこととか、寮生活のこととかで精一杯でした。

- 厚ヶ瀬美姫(あつがせ・みき)
- サウス ディオーネ
- ポジション:内野手
- 生年月日:1991年2月12日
- 出身地:大阪府
- 経歴:神村学園高 - 塁ベースボールクラブ - 兵庫スイングスマイリーズ - サウス ディオーネ
- 身長:160cm
- タイプ:右投左打
- 最高出塁率(2012)
最多盗塁(2011)
ベストナイン遊撃手(2012) - 上記データは掲載時のものとなります。