プロで活躍する社会人野球戦士たち(後編)

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第2回 プロで活躍する社会人野球戦士たち(後編)2013年07月06日

[1]社会人最高の栄誉を手にした長野久義
[2]アマチュア野球界の王道を歩んだ大谷智久
[3]人生を変えた完全試合/東芝で培った積極的打撃で開花を/

遠回りして社会人最高の栄誉を手にした長野久義

南本(ジェイプロジェクト)

"長野久義(Honda時代)"

 最近の社会人野球出身のNPB選手で、スラッガーとして評判通りの実力を見せたのは長野久義だろう。日本大時代は4年春夏に2季連続で、首位打者に輝き、俊足・強肩を兼ね備えた外野手としてドラフト候補として注目を浴びた。同年のドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズから4巡目指名を受けたが、読売ジャイアンツへの入団を熱望し、拒否をした。

 長野は大学卒業後、Honda入り。長野は1年目からチームの主砲として活躍。2年目を迎えた2008年には長野は上位指名候補に上がっていた。だが、長野は熱望するジャイアンツ以外の指名された場合はプロ入りせず残留する意志を固めていた。しかし、2008年のドラフトで千葉ロッテマリーンズが長野を指名。しかし長野サイドの拒否の方針は変わらず、Hondaに残留し、3年目を迎える。

 そして社会人3年目。ジャイアンツは長野にドラフト1位指名する方針を公表した。ドラフト1位指名選手の決定はドラフト直前の10月になるのが通例だ。ジャイアンツが公表したのはその年の2月。まさに異例の発表である。この指名にはリスクがあった。

公表した以上、同じ年に注目度が高い選手に簡単に変えることはできないからだ。2009年といえば、花巻東菊池 雄星(現・西武ライオンズ)に注目が集まっていた年。長野1位指名を公表した2月は、それほど菊池は騒がれる選手ではなかったが、センバツでの活躍が競争を激化させていた。長野がジャイアンツのフロントにドラフト1位を貫いてよかったと思わせるには1年間活躍して、ジャイアンツのドラフト1位に相応しい選手に成長することだけだった。

 そうすれば迷うことなく長野を指名することが出来るからだ。その長野の本気度を実感したのはジャイアンツ球場で行われた6月の巨人二軍との交流戦だった。

 ちょうど南関東予選間近に控えた交流戦で、長野はまず4回表にリン・イーハウから弾丸ライナーのホームランを放つ。さらに6回表には左腕の宮本からホームラン。この2打席連続ホームランに、巨人ファンは長野に大きな歓声を送った。そして9回表に、一死満塁の場面で、走者一掃の三塁打を放ち、3安打5打点の大活躍をみせた。

 また、同月の都市対抗南関東予選・新日鐵住金かずさマジック戦でも長野は左中間へ飛び込む本塁打を放つ。長野の本塁打は他の選手と比べると打球速度が違った。同じ放物線でも、すごい勢いで飛んでいくのだ。長野は社会人選手のレベルを超越していた。長野の打撃開花には三菱ふそう川崎から移籍した西郷泰之の影響が大きかったという。当時は、長野が3番、西郷が4番に座り、Hondaの強力打線を形作った。

 そして、優勝をかけて臨んだ2009年の都市対抗では、長野は打率.579の活躍で首位打者を獲得し、Hondaの都市対抗優勝に貢献。このプレーに、秋のドラフトでは他球団が横槍を入れて長野を指名する可能性もあったが、読売ジャイアンツが単独1位指名に成功した。晴れて長野は読売ジャイアンツ入りを果たしたのである。

 プロ入りした長野は1年目から即戦力として活躍を見せ、打率.288、19本塁打をマークし、新人王を獲得。2年目はシーズン最終戦で、代打逆転サヨナラ満塁本塁打で、首位打者を確定させ、3年目はシーズン最多安打を記録。4年目はWBC代表に選出され、順調に右肩上がりのプロ野球人生を歩んでいる。

意中の球団に入ることができなかった期間を遠回りだったと感じる人もいるかもしれない。ただ、自分が決めた道を貫いたことで、都市対抗優勝を経験し、プロ入りしても順調にプロ野球選手として実績を上げているのを見ると、Hondaでの3年間で、選手としての力量が磨かれ、プロ入り後も1年目から即戦力に相応しい活躍につなげることが出来たのではないかと思わせる。土壇場での活躍をみるたびに、この男の意志の強さを感じる。10年後には間違いなく読売ジャイアンツの歴史に残る名選手となっていくはずだ。

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