連載企画 Human 杉浦正則(日本生命)

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第7回 オリンピックという舞台はメダルの重さ一つとっても違う、特別な存在2013年12月28日

 オリンピックというのは、やはり特別な舞台だった。それは、杉浦 正則としても、日の丸を背負って日本代表になってみて初めて実感したことである。それは、今まで経験してきた他の国際試合とも雰囲気そのものが違っていた。
 オリンピックの場合、やはり選手村に入るということも大きい。
 初めて代表となったバルセロナオリンピックは、開会式で格別の感動を味わった杉浦は、選手村でもオリンピックならではの生活を感受することになる。

「(オリンピックといっても)試合そのものというのは、それまで経験してきていた国際試合とは何ら変わりのないものだと思います。もちろん、セキュリティーは今までよりは厳しいんですけれどもね…。それよりも、選手村での生活ですか、他の競技の選手といろいろ話出来たりしたことというのは、やはりよかったかなと思いました」

連載企画 Human 杉浦正則(日本生命)

日本生命保険相互会社 杉浦正則さん

 野球選手の場合、国際大会などでも、あまり他の競技の選手と触れあうことがない。そういうこともあって、オリンピックの選手村での他のアスリートたちとの触れ合いは杉浦にとっても新鮮なものだった。
「それは、そんなに親しくなるということはないのかもしれませんけれども、会話の中で『今日はどうだった?』とか、そんな話はしていきましたね。それがまた、刺激にもなったのではないかと思っています」
 選手村では、洗濯なども自分たちで行うというケースが多く、そう言ったところも日常の交流の場ということになった。目指していたオリンピックというのはこういうものだということを、すべての中で感じていた。

「最終的には、やはりメダルということになりますが、目指していた色(銅メダル)とは違ってしまったのですけれど、それでも、それを首にかけてもらった時には、『さすがにオリンピックだ、メダルもズシリと重いな』という感じはしました。他の大会の時には『あっ、案外軽いな』と思ったこともありますから…(笑)」

 バルセロナから帰国して、杉浦も凍結選手としての扱いが解けた。ただ、杉浦としてはバルセロナではヒジの状態がベストではなかったということもあって、投手としては必ずしも満足のいくものではなかったという思いもあった。そのため、杉浦は目標としていたオリンピックに出場することが出来てメダルも獲れたからといって、即プロを目指して行こうかというと、そういう意識でもなかったというのが本音である。
「帰国した後、新聞紙上はにぎわせていたかもしれないですけれども、自分としてはそんな意識というのはそれほどなかったですね。それに、次のオリンピックということよりも、まず来年1年をどうやってきちんと過ごしていくか、そのことを考えていました。すべてのことが、その後だろうという考えでしたね」

 具体的には、いくつか球団からのコンタクトもあったようだが、杉浦自身としては怪我をきちんと治しておこうという意識もあった。
「プロというのは、1年を通して長いシーズンで、常に投げていかないといけないじゃないですか。だけど、アマチュア(社会人)野球というのは、大会ごとなのでそこに集約出来るところがありますから、故障を治していくのにも、その方がいいのかなというところはありました」
 と、語るように、もうひとつプロへ意識が向かいきらなかった要素として、故障との戦いというところがあったのかもしれない。それよりは、社会人野球の選手として、そのトップを走りながら自分を磨いていくという方向性を選択した。

「オリンピックの年(92年)の都市対抗は、実は優勝しているんですよ(杉浦は優勝投手)。だから、翌年は推薦出場になっていたんです。ところがそれが初戦負け(NTT関東)だったんですよ。チームとしては、キューバにも単独で勝っていたりして、注目もされていたし、チーム力も低くなかったと思うんですよ」

 このあたりに、ほとんどの大会が一本勝負となっている社会人野球の難しさがあるとも言えそうだ。
「都市対抗で一番戦いにくいのが、初戦なんですよ。それは、どんなに力の差があるチーム同士でも、どこも初戦に合わせてきますから、それに対して強いとされているところはへんな緊張感がありますからね」
 そんな、都市対抗独特の難しさにハマってしまった戦いとなって、この年の日本生命は、もろくも初戦で敗退となってしまったのだった。どこのチームも、都市対抗の本大会に出てくるようなところであれば、絶対的な投手がいるものだ。そして、その投手がベストで合わせてくれば、社会人野球のトップレベルともなると、それほど差がないものである。だから、いつも都市対抗の本大会は、競り合いになるケースが多い。

「そこで、相手に先に点が入ってしまえば、さらに緊張感は大きくなっていきますから、それが都市対抗の初戦の怖さなんですよ」
 社会人野球の歴史と伝統を背負って戦う都市対抗野球大会の本大会というのは、それだけ重みがあるということでもある。杉浦は、その重さを感じつつ社会人野球の魅力にとりつかれていき、やがて「ミスター社会人野球」と呼ばれるようになっていったのである。

(文=手束 仁

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