連載企画 Human 杉浦正則(日本生命)

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第10回 シドニーオリンピックを最後に現役を引退、コーチを経て監督を4年間務める2014年01月18日

 三度目のオリンピック出場となったシドニー大会では、日本チーム全体の主将にも抜擢された杉浦正則。しかし、残念ながらメダルには届かなかった。こだわり続けたオリンピックでの金メダルは、ついぞ獲得することは出来なかった。

連載企画 Human 杉浦正則(日本生命)

日本生命保険相互会社 杉浦正則さん

「シドニーオリンピックが終わった後に、次の目標ということになると、もう(自分にとっては)オリンピックはないというのが正直なところでしたね。年齢的に32歳というのは、まだ若いと言われるかもしれませんけれども、自分の中では身体がしんどくなってきたという実感がありました。それに、若手が伸びてきていたこともあり、なまじ日本代表という実績があることでチームに変な気を遣わせてはいけないということも考えていました」

 年齢的に厳しくなってきたことも一つの理由だったが、社会人野球に携わっていく中では、どこで区切りをつけるのかというのは、社会人としてその後の道を選択していく上では非常に大事な決断となる。
 そうした理由もあって、杉浦自身は10年できっちりと日本生命の選手としての現役引退を決めた。その後は、コーチとして在籍して後進の指導をしていくことになるのだが、そこで初めて相手に伝えることの難しさを実感することになる。言うならば、言葉で何をどう表していくのか、そんな新たな葛藤が始まったのである。

「コーチをやるために現役をやっていたのではないですから(苦笑)、自分が経験してきたことを伝えるのは難しかったですね。どちらかと言うと、感覚でやってきたというタイプでしたから、その感覚を伝えるというのは非常に難しかったと思います」
 杉浦としては、自分が育った野球を、次の世代へ引き継いでいくということの難しさを痛感することになるのである。特に、杉浦自身も指導者としての将来を見据えて、そこを目指してきたというものではなかった。それだけに、コーチという立場になって、日本代表という肩書きが、指導現場では必ずしも有効ではないということも実感した。

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