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第2回 【高林孝行さん】 第18回大会(1991年) 準々決勝で伊藤智仁投手と対戦し全打席出塁!初優勝に大きく貢献2013年10月30日
私の日本選手権の思い出のベストゲーム第2回は、高林孝行さんにお話しを伺いました。
高林さんは、立教(現立教新座)高校で甲子園出場を果たし、卒業後は立教大でプレーし、23年ぶりのリーグ優勝に貢献。
日本石油(現JX-ENEOS)でプレーしたのち、2011年には母校・立教新座高校の野球部監督も努めた。そんな高林さんが社会人野球現役時代を振り返る。
1991年10月16日グリーンスタジアム神戸
第18回 日本選手権 準々決勝
日本石油 002 210 112=9
三菱自動車京都 010 110 023=8
高林孝行氏(元日本石油)のベストゲーム
私の思い出のベストゲームは、1991年の第18回日本選手権です。
この大会では、決勝戦で大阪ガスを破り、日本石油(現JX-ENEOS)として初優勝を飾りました。実は、この優勝までに、89年、90年ともに日本選手権の決勝戦まで進むも、あと一歩で敗れていたんですよね。
私が入社したのは1990年でこの年は、まだ入社2年目。
1年目はレギュラーではなかったので、とにかく一戦一戦、結果を残すことに必死で、先輩たちが抱いていた日本選手権“優勝”への思いを同じほど強く持っていたかは分かりませんが、やはり優勝した大会というのは今振り返ってみても記憶に強く残っています。
とくにこの大会の中で、自分の中でのベストゲームは、準々決勝の三菱自動車京都戦でした。この準々決勝まで、僕たちのチームは、苦しみながらも好投手を打って、勝ち上がってきました。
他にも、NTT四国には、その後、巨人に入団した西山一宇投手、ヤクルトに入団した山部太投手など錚々たる好投手がいましたから、もうそれ以上の投手は、上で待ち構えていないだろうと思っていたんですね。
しかし、この準々決勝の三菱自動車京都で先発した伊藤智仁(現ヤクルトスワローズコーチ)投手が、前評判はそこまで高くなかったのですが、実際対戦してみると、苦しみました。
1点を争うゲーム展開になって、私が終盤で三塁ランナーだったんです。その時、相手投手がふりかぶった瞬間、それがボーク判定になったんです。それで、貴重な1点を奪えたんですよね。
優勝するまでに苦しい試合が多かったけど、あの一戦もまた、私の記憶に残るベストゲームでしたね。
この試合で、高林選手は好投手・伊藤智仁を打って、全打席出塁。9番ライトで、社会人に入って初の全国の舞台で大きな結果を残した。同大会で高林選手は、大会優秀賞を獲得。翌年からは4年連続で社会人ベストナインを受賞。社会人野球界の名プレーヤーとして名を残した。「当時は毎日が競争だった」と語る高林さん。初めてもらった社会人野球の全国の舞台でのレギュラーのチャンスをしっかりとものに、その後の選手人生を切り開いた一戦となった。
(語り=高林孝行さん)