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第4回 【山本秀明さん】 第24回大会(1997年) 悔しさが残る日本選手権 延長の末のサヨナラ負け2013年11月01日
私の日本選手権の思い出のベストゲーム第4回は、山本秀明さんにお話を伺いしました。
山本さんは三菱自動車川崎時代に捕手として1995年の日本選手権優勝を経験。その後、横浜隼人のコーチ、日大藤沢の監督として小宮山 慎二(現・阪神)、黒羽根 利規を育てあげ、プロを輩出しました。山本さんに日本選手権の思い出を語っていただきました。
1997年10月6日大阪ドーム
第24回 日本選手権 1回戦
三菱自動車川崎 020 100 012 00=6
川崎製鉄水島 002 300 010 02×=8
山本秀明氏(元三菱自動車川崎)のベストゲーム
思い出に残るベストゲームを一つあげるなら、1997年の日本選手権の川崎製鉄水島(現・JFE西日本)戦ですね。試合は結果的には、延長11回まで粘ったのですが、最後はサヨナラ2ランを浴びて負けてしまったんです。サヨナラ負けした悔しさはもちろんですが、私は延長10回の時に代打を出されて、最後まで試合に出られなかったという悔しかった思い出があります。
また、日本選手権というのは、都市対抗大会とは違って、場所が近畿と遠いということもあって、会社からの応援も都市対抗に比べると少ないんですよね。
それでも、チームとしては、1995年に日本選手権で優勝しました。私は、この時はあまり試合に出場していなかったのですが。
だからこそ、あの1997年の川崎製鉄水島戦での負け方は、本当に自分の中では強烈で、とても悔しかったですね。あれから、15年経った今でも、その時の感情というのは、残っています。
日本選手権は社会人ナンバーワンを争う大会であるが、事実、都市対抗大会よりも、注目されることは少ない。そこで、日本野球連盟(JABA)は2006年から抜本的な改革を行った。出場チームを26チームから32チームに変更し、3月に開催されるJABAスポニチ大会などのJABA地方大会の優勝チームから計9チーム(2010年から計11チーム)が出場できることに。また、都市対抗優勝チームとクラブ選手権優勝チームにも出場権が与えられるようになった。
山本秀明さんは、現在、日大藤沢高校の野球部監督して、戦国・神奈川地区において毎年強豪チームを作り上げているが、社会人野球時代の貴重な経験は、今でも選手への指導において強く生かされているようだ。
(語り=山本秀明さん)