時代を映してきた都市対抗野球

印刷する このエントリーをはてなブックマークに追加   

第1回 企業と学校が支えてきた日本のスポーツ界2012年05月22日

早稲田ユニフォーム

日本の野球界を支えてきた大学のひとつ・早稲田大

 高校野球の繁栄を見るまでもなく、日本の野球界は学校によって支えられてきた。特に、明治時代にアメリカよりベースボールが伝えられたのがそもそもの始まりである。以来、野球の普及に強く学校が関わってきていたことは言うまでもない。
 そもそも野球という言葉は、第一高等学校(旧制)時代に、ベースボールに親しんでいた中馬庚が、その技術書を書く際に「野球」と訳したのが最初だといわれている。その「野球」という呼称が学生たちの間で一気に定着した。それは、当時の次世代のリーダーを養成するための機関でもあった官立高等学校の学生の間で普及していったからでもある。

 中馬庚はその後、東京帝国大学へ進学して野球の普及に尽力する。さらには、故郷鹿児島県へ戻って、中等学校の教員としても野球を指導していた。
 同じ頃、日本代表する私学の雄となる早稲田と慶応義塾が、やはり野球に積極的に取り組んでいった。その根底には、野球の組織的な考え方と、投手と打者の一対一の勝負というスタイルが武士道的精神を養成していくのに役だったというのが一つ。さらに、チーム競技という形が学校や組織への帰属意識を育てていったのではないかと推測される。

 こうして、野球はさらに若者の間ですさまじい勢いで普及していった。その勢いは、もっともエネルギーのある中等学校世代にも及んでいった。当時の学校制度では、中等学校世代が現在の高校野球の世代にほぼ合致する。
 野球は当時の若者の間で凄まじい勢いで流行していった。その一方で,朝日新聞が紙上で「野球害毒論」を語った。ところが、これに対して世論の反対意見が殺到した。慌てた朝日新聞側は即刻考え方を改めるべき体制をとった。それが今日の、夏の全国高校野球選手権大会の前身となる全国中等学校優勝野球大会だった。

 中等学校世代の若者が、やがて大学へ進学していき、さらに野球を熱心に学び実践していくことで、より野球は普及していくことになる。しかし、やがて彼らは卒業していく。学校としては次の世代が入学してくるのだから、野球は継続され続けられる。


【次のページ】 企業と学校が支えてきた日本のスポーツ界(2)


【関連記事】
第8回 伝統ある都市対抗野球も、新時代突入となるか(最終回)【時代を映してきた都市対抗野球】
第7回 21世紀になって、都市対抗野球にもさまざまな変化が・・・【時代を映してきた都市対抗野球】
第6回 時代の流れの中で、企業スポーツの基盤に変化【時代を映してきた都市対抗野球】
第5回 社会人野球の使命、都市対抗野球の役割【時代を映してきた都市対抗野球】
第4回 社会人野球最盛期の後楽園球場【時代を映してきた都市対抗野球】

コメントを投稿する