時代を映してきた都市対抗野球

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第3回 60年代の時代背景と都市対抗野球全盛時代2012年06月25日

 東京オリンピックを翌年に控えた1963(昭和38)年の日本は、東京~大阪間を4時間で結ぶ(当時)「夢の超特急」と呼ばれた新幹線の整備などでまさに、高度成長のピークを迎えつつあった。
 そんな年に、都市対抗野球では応援団コンクールを開始することになった。まさに、この応援コンクールこそ、その後“都市対抗の花”ともいわれるようになるくらいに、都市対抗野球の象徴的な存在になっていく。
 また、それは同時に、それぞれの企業がその存在や業務実績をアピールしていく場でもあるようになっていった。それだけに、応援コンクールに力を注ぐ企業も多くなってきた。

 ちなみに、最初の応援コンクールの最優秀賞は浜松市の河合楽器だった。浜松市では日本楽器(現ヤマハ)と競い合っていたのだが、豊かになっていく日本において、広義でいえば娯楽産業として豊かさの証として楽器メーカーが躍進していたということでもある。この年の優勝は京都市の積水化学、準優勝が富士鉄室蘭となっており、まさにさまざまな産業が入り乱れてきて、企業がどんどん成長していく、日本にとっても一番いい時代を象徴しているかのようでもあった。

 参考までにこの年の主な出場チームを挙げておくと、上記以外には秋田市・帝国石油、東京都は大和証券と熊谷組、八王子市・リッカ―ミシン、川崎市・日本コロムビア、富山市・不二越鋼材、姫路市・山陽特殊製鋼などが時代を物語っている。これらに、横浜市からは日本鋼管と前年優勝で推薦出場の日本石油の両雄が登場し2回戦で対戦し、3連覇を目指す日本石油が2対0で勝利している。準決勝で富士鉄室蘭に破れて、3連覇は成らなかったものの、この時代は日本石油の黄金時代ともいわれていた。

 オリンピックイヤーの1964(昭和39)年は、初めて沖縄から那覇市・琉球煙草が出場し、応援席には沖縄の民族衣装が登場する。「本土復帰」のプラカードを掲げるなども時代を表している出来事である。
 この年は関東勢がベスト4を独占した。優勝した浦和市・日本通運、準優勝の川崎市・日本コロムビアに熊谷組、日本鋼管である。コロムビアは応援スタンドに専属歌手が訪れたりして話題にもなった。ベスト8には北海道拓殖銀行や大昭和製紙もいて、まさに、流通から建設、鉄鋼、娯楽に金融とあらゆる産業が、都市対抗の舞台でアピールしていた。


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